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ぼくのイスラム神秘主義体験

(後編)

著者:斎藤完

 (前編からの続き)
 
 四十畳は優にある神秘主義のための道場(?)はすでに多くの人で埋まりつつある。もちろん皆、 男ばかりである。頭にタッケという丸帽子を被っている人が目に付く。
 
 彼はぼくをそこに座らせるのではなく、道場の横にある個室にぼくを通した。
 
 個室では五十代以上の男たち十数人が車座になっている。そのなかにあの達人もいる。
 
 ほかの男たちが愛想よく会釈してくれるのに対して、達人はさっきと様子を変えない。
 
 「ここに観光気分で来られても困るんだよ」 彼の心の声が聞こえてくる。
 
 そしてその声は黒い風船をまた少し膨らませる。
 
 「よく来たね。まあ、ここに掛けて」
 
 愛想のいい調子で白いヒゲの老人がぼくに声を掛けた。これまたきれいな英語である。
 
 彼は今晩これからおこなわれるのはズィクルといって、神との合一を果たすためにひたすら「ア ッラー」と神の名を連呼するものだと説明し、ぼくにも参加するように促した。
 
 「いえ。ここでおこなわれるイスラムの文化を見学できればそれで充分です」
 
 ぼくはそんな感じで答えたが、
 
 「この文化は感じてみないことには何も知ることはできないのです」
 
 語調は穏やかなのだが、その奥に何か有無を言わせないような凄みを感じ、ぼくはそれを跳ねつ けるほどの強い言葉が見つけられず、この時点でズィクル参加が決定した。
 
 ぼくのズィクル参加に対して誰も何も口を挟まない。あの達人ですら聞かないフリをしている。
 
 この老人はシェイフ、つまりこの場所の長だったのだ。シェイフはぼくの参加を確認すると、ぼ くの名前や国籍、それにぼくの宗教も聞かずにその場所から出て行ってしまった。
 
 ぼくはその場でぽつんとする。英語がわかるのが達人とシェイフだけなのだろうか、誰も声を掛 けてこない。でも、かと言って無視するわけでもなく、チャイが運ばれるとぼくにまわしてくれる。 どうも居心地が悪い。
 
 ズィクルでもクルクル踊りでも何でもやって、早くここから立ち去りたい。 自分から飛び込んできたくせに、そんな気持ちになっていた。
 
 「そろそろです」
 
 ドアが開き、その昔ぼくの心の友であった男が声を掛ける。
 
 全員腰を上げる。
 
 ぼくは横に座っていた、人のよさそうな目をした老人に腕を組まれ、一緒に部屋を出た。
 
 彼はゆっくりと歩く。ぼくはてっきり、彼は足が悪くてぼくにつかまっているのかと思ったが、 そうではないことがすぐにわかった。座っている五、六十人の男たちの群れに近づくにつれ、老人 の歩調はしっかりとしたものになり、さらには、ぼくをぐいぐいとその前列に連れて行こうとする。
 
 「ノー! ストップ!」
 
 ぼくは立ち止まりながら、英語が通じない老人にもわかりやすいように、そう伝える。
 
 「まあ、せっかく来たんだし。やれば絶対、あんたもアッラーの偉大さに触れることができるよ」
 
 彼はトルコ語でこう言う。 もちろん、ぼくはトルコ語を理解することが相手にバレると、今まで装ってきた虚像「物見高い 外人」が崩れ落ちるので、ただ、やたらめったら「ノー」と「ストップ」を連呼した。そのうち、 周りの青年が老人を説得し、ぼくは何とか最後列に座ることができた。
 
 老人は「やれば絶対…」という目でぼくをじいっとみつめながら、最前列に腰をおろす。
 
 その目は忘れかけていた黒い風船をぼくに思い起こさせ、それはまた少し膨らんだ。
 
 シェイフはすでに最前列に座っている。
 
 そして何事か唱えたと思ったら、いきなりズィクルが始まった。
 
 ズィクルは熱気と興奮がつくりだす混沌とした音の渦が果てしなくつづくものだった。
 
 楽器は一切使われない。前出のクルクルまわる旋舞で陶酔状態に至る行には音楽が使われている。
 
 いわゆるメヴレヴィー教団音楽と呼ばれ、現在では伝統的芸術音楽の一部に分類されている。それ には洗練された陶酔の美がある。
 
 しかし、このズィクルは地声で力強く連呼される「アッラー」が唸りとなって音の渦を作る。部 屋中「アッラー」で溢れ返る。
 
 横に座る十四、五歳とおぼしき少年も一心不乱に「アッラー」を連呼している。神との合一を心 から願っているに違いない。

 「アッラー」を連呼しながら、はじめはゆっくりと首を右斜め上に振り上げて、それを激しく左 斜め下に振り下ろす。いや、左斜め上から右斜め下へ、だったかもしれない。ぼくは全員の動きに 合わせるので精一杯だ。もちろん誰もぼくのことを気に掛ける人なんていないけど、無作法なこと をして彼らに不愉快な思いをさせてはならない。内から湧き上がるプレッシャーで、ぼくはみよう みまねに精を出す。とても合一どころの騒ぎではない。
 
 「アッラー」を連呼するテンポが上がる。首を振り下ろすテンポもアップする。 アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラ ー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー…… 汗がほとばしり、全体が異様な空気に包まれる。
 
 アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラ ー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー……
 
 隣の少年がどんな状態になっているか気になるが、それどころではない。もし、白目をむきなが らヨダレをたらしていたとしても、ぼくは驚かなかっただろう。この混沌とした音の渦によっても たらされた精神状態では剣も火も毒蛇も「あり」かもしれない。何も痛くないし、熱くもないし、 そして何も怖くないはずだ。
 
 アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラ ー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー、アッラー……
 
 ぼくは一緒に首を振り、「アッラー」の御名を唱えながらも、心のなかでは「冷やかしで来ちゃっ てごめんなさい」「不信心でごめんなさい」「二度ときませんから…」と唱えていた。
 
 むしょうにウチに帰りたかった。
 
 ……全部で一時間以上はズィクルがされていたはずだった。そのなかには「ラーイラエイッラッ ラー(アッラーのほかに神はなし)」といった文句をひたすら唱えたりとか、「フー、アッラー」と か、その他、いろいろな変化があったに違いない。
 
 でもぼくは連呼される「アッラー」の渦に飲み込まれて、何がなんだかよく覚えていない。ただ、 思い出すのは熱気と興奮の感触と家路への執着だけだ。
 
 とにかく何がなんだかわからないうちに、ズィクルは終わった。
 
 やっと帰れる。ビールを飲もう。そのまえにシャワーを浴びよう。
 
 しかし、それでは終わらなかった。
 
 玄関で靴を履きかけたぼくはさっきの老人に再びむんずと腕をつかまれ、シェイフのいる個室に 連行されたのだった。
 
 そこには大きなお盆に果物やお菓子の盛り合わせが乗せてあり、それを囲むようにしてさっきの メンバーが座っていた。
 
 やばい。改宗を迫られる。どうしよう……。
 
 黒い風船が破裂に向かって一気に膨らみを増す。

 ぼくはさっさとその場から逃げ出すべく、シェイフに頭を下げ、「すばらしい」体験をさせてもら ったことに対して感謝の意を述べ、それに続けてこんなことを口走った。
 
 「とても残念だけど、私と上の階にいる友人は明日朝五時の飛行機で日本に帰らなくてはならない のです。でも、これを機会に二人とも改宗を考えます。ですから今日はこの辺で失礼します」
 
 シェイフは慈愛に満ちた優しいまなざしでこう答えた。
 
 「アッラーは常にあなたと共にいます。あなたが何を信じようとそれは大きな問題ではないし、改 宗するしないは問題ではないのです」
 
 その言葉がパンパンに膨らんだ黒い風船をしぼませていく。 ぼくは自分の思い込みを、「トルコ語を知らない物見高い外人」を演じていたことを、この場で重 ねたウソを、つまりこの日の自分のすべてを恥じた。
 
 こんなに自分自身を恥ずかしく、そして情けなく感じたのはいつ以来だろう?

 恥ずかしさで顔を上げられず、やっとの思いで、深深と頭を下げてその場を辞した。
 
 ごめんなさい。

 
 外に出ると友人はすでに待っていた。

  二階の御簾の内はすし詰め状態で暑かったけど、雰囲気は和やかなもので、しかも周りの好意で 一番前の席で鑑賞することができたそうだ。おまけにお土産に数珠ももらい、部屋を出るときには 大勢に握手を求められながら「サンキュー」と言われ、親愛の情を込めてキスまでされたらしい。
 
 ウソで塗り固めたぼくには試練を、わけがわからず自然体でいた彼女には褒美を、というところ か。アッラーはすべてをご存知だったのかもしれない。

 

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