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『シルクロード自転車旅行2007』遠征報告
(ツール・ド・シルクロード20年計画:第15次遠征)
イランのテヘランからタブリーズまで1050 km
(ツール・ド・シルクロード20年計画)
写真・文 長澤法隆
(遠征報告は、『CYCLE SPORTS』(発行:八重洲出版)
2007年8月号に発表したレポートに加筆しています。)


(ツール・ド・シルクロード20年計画)
  注記:『ツール・ド・シルクロード20年計画』は、長澤法隆が地球と話す会の事務局長を務めていた1993年から2001年までは、長澤法隆が隊長として地球と話す会で実施しています。2002年からは『シルクロード雑学大学(歴史探検隊)』にて、『ツール・ド・シルクロード20年計画』を継続しています。

【タイトル】
シルクロード自転車旅行

【サブタイトル】
東から西へ20年かけてシルクロードを走破する自転車旅行

イランのテヘランからタブリーズまで10501050km
『ツール・ド・シルクロード20年計画』第15次遠征

期日/2007年5月7日〜24日
ルート/テヘラン〜カスピ海沿岸〜タブリーズまで1050km
主催/シルクロード雑学大学(歴史探検隊)

【リード】
古代ロマンにあふれる東西交易の道シルクロード。熱砂熱風に遭遇しながらもテヘランまで、14年がかりで約1万kmを走破してきた。15年目は、土砂降りの雨を駆け抜けた。その先で待っているのは、砂漠か岩山か草原か。どんな風景が待ち構えているのだろうか。

【本文】
  仕事を続けながらも、シルクロード旅行という夢も実現したい。『ツール・ド・シルクロード20年計画』は1993年。西安をスタートした。

  これまでの参加者は12歳から72歳まで。延べ約300人。見聞した地域は、中国から中央アジア、中東へ。風景は、ポプラ並木、砂漠、緑の草原、森林、再び砂漠と変わる。風貌も家並みも言語も食事も、国境や峠を越える度に変わる。ローマをめざす夢の続き。今年は7名が参加した。

1日目、テヘラン市内と国際空港の間にあるアーザーディー・タワー。昨年ゴールしたこの地が、今年の出発地だ。スタート午前5時40分。

  「去年、ゴールしたときよりちょっとだけ車が少ないようですね」
と、交通渋滞を横目に話すのは山田悦子さん(59歳)。先導するバスにぴったり付いて7台の自転車が追いかける。ちょっと気を許すと、他の車が割り込もうとする。テヘランの市街地から高速道路を通って、1日目の走行は約40キロだが、緊張の連続だった。

ホームステイ先での夕食はアゼルバイジャン州の伝統的な料理。お母さんと妹さんが腕を振るってくれた。ブドウの葉を使った料理、若くて青いトマトをしし唐で漬けた料理などが次々とテーブルに並んだ。イラン旅行は、ホームステイに限る。

2日目、川と平行してアルボルズ山脈の峠へと続くルートを走行。一日中、上り坂だった。標高が高くなると道路脇にポプラ並木が続いた。さらに高所になると道路わきから緑が消え、岩山の間を進んだ。だんだん道路巾は狭くなる。逆に交通量は多くなる。何故だろうか。

  「今日は木曜日です。イスラム世界では金曜日が、日本の日曜日にあたります。木曜日は日本の土曜日。木金の連休を利用して、テヘランの人はアルボルス山脈の高地やカスピ海へ車で出かけて、休日を過ごします」
とガイドのハリリさん。イスラム世界では、木曜日・金曜日に行楽客が増える。教訓となった。

 10時少し前、トンネルの手前にポリス・ボックスがある。ここで停車を命じられた。後から続く乗用車は、次々とトンネルに消えていく。30分経った。どうしてだろう。
  「トンネルを抜けるまでパトカーが先導してくれるそうです。パトカーが到着するまで待ってください。もう少しです」
と警察官の返事を報告するガイド氏。表情は明るくなった。

  トンネルに入って、パトカー先導の意味が分かった。トンネル内の路面は凸凹、場所によっては滝のように上から水が落ちてくる。照明はないに等しい。行楽客の車が多く、トンネル内は冷や汗の連続だった。こんなトンネルが10箇所もあった。

 
翌日、坂道を下ると再び道路の両側に森林が広がった。茶色い岩山から緑の森に、峠で風景が変わった。
ピクニックをしていたの家族連れに声をかけられた。「どこから来たの」、「日本からです。テヘランを出発して、タブリーズまで行きます」

  「イランは好きですか」「遺跡、雄大できれいな景色もいい。だれもが気軽に声をかけてくれるのもいいし、大好きです」。話している間に、お父さんが焼きたてのチキンを振舞ってくれた。自転車だから声をかけてもらえる。こんな親切に出会える。だから自転車旅行はおもしろい。

5日目、前日の土砂降りが嘘のような快晴だ。5時30分に出発。午前中だけで5組のサイクリストとすれ違った。木の下で休憩している4人組とは話をした。イラン人だった。タブリーズから東へ旅行しているという。
「メンバーに女性が2名います。1名はマントを着ないで走っているけど、どう思いますか」
と質問してみた。

  「その国の法律を守れないのだったら、旅行する資格はないと思います。文化の違いを体験するのも、旅行の楽しみの一つです」
と、旅行の基本を指南された。

  道路から城跡が見えた。十分ほど路地を走ると上り口があった。路地には高床式の家並みが並ぶ。「どの家にも、ピンクや赤いバラが咲いていますね」と山田さん。城跡からは、田んぼと、その向こうにカスピ海が見えた。田植えの姿も見える。日本同じ、のどかな田園風景だった。

 
11日目、今年のゴール地点であるタブリーズをめざした。この日の天気はめまぐるしく変わった。峠の前は快晴で、峠は土砂降り。タブリーズでは熱暑が待っていた。ホテルに到着したのは12時40分。ローカル局のテレビカメラが待っていた。

 来年のスタートはアルゲ・タブリーズという遺跡。旧約聖書のノアの箱舟が漂着したというアララト山を眺め、トルコのエルズルムをめざす。出発までの読書も楽しみだ。

  アララト山を見ながらトルコのエルズルムをめざしてペダルを踏む予定だ。遺跡や博物館を巡りはもちろん、路地を散策して、ごく普通の人たちの暮らしにも触れることも楽しみたい。国境を陸路で越え、言語や民族の違い、食や服装の違いや共通性など、シルクロードを五感で感じたい。


【日記より抜粋】

 2つ目の丘陵を登りきる。昨日の上りほどではないが、かなりの坂道である。
  10時、49.12km地点。休憩、そしてスイカ。ハードな登坂の後のスイカは格別。この季節にスイカを食せることは、何と贅沢なことか。しかも沢山。今日は金曜日。家族連れと思われる乗用車が頻繁に行き交う。

  休憩していて、われわれに手を振る車もあれば、クラクションを鳴らす車もある。旅に出ると、このようなやり取りも嬉しく楽しいものだ。3つ目の坂を上りきった頂上で小休止。11時35分、52.52qの地点。岩崎氏の高度計によれば標高は1815m。左側遠くに残雪を頂く、かなり高い連山が姿を現している。

 55km地点でロードレーサーに乗った4人の青年に追い越された。しばらく進んだところで、彼らはわれわれを待っていた。ほどなくしてそろって休憩。彼らは大学生だという。英語はあまり得意ではないが、何とか会話が進む。中の1人は、イタリア製のマシンに乗っていた。部品もかなりの物を装備し、皆恵まれた家庭の子息なのだろう。日本と異なりヘルメットを着けていないのはファッションなのだろうか。交通の激しいこの地で、少々危険に感じた。

  12時45分、62,64km、標高1955m。ここが最後の上り坂と思われる頂上で休憩。前方、下のほうに街が望める。ここから先はかなり急な下り坂が続いた。MAX56kmの部分もあった。坂を下りきったあたりで昼食。13時30分、78.94q、標高1660m。町外れの食堂であった。皆、空腹のために無言のままの時間が流れた。


【コラム】
イランの女性はおしゃれ

  イスラム法によって女性は、家を出たら、チャドルというスカーフとマントを着用することになっている。髪の毛は、チャドルで見えないようにする決まりだ。でも、最近は金髪に染めた前髪がみえるように、わざとチャドルを後ろにずらしている女性が多い。そしてマントの中の服装はといえば、ピンクや赤など結構派手だ。襟元からピンクの洋服が見えたり、おしゃれをチョイ出ししている。驚くのは下着の派手さ。下着売り場でどうぞ見学を。

  シルクロードを自転車で旅行しながら、音楽テープやCDを集めるのも楽しい。民族楽器を使った伝統的な音楽・現代的な音楽、現在の若者に人気の音楽など。旅行の様子を記録したビデオに音楽を入れるのも楽しい。

楽器から見えるシルクロードと日本の交流
  尺八と言えば、日本の伝統的な楽器。ところが、その源流は、なんとトルコやイランにあるネイという楽器。バイオリンの源流は、ウズベキスタンにあるギジャークという民族楽器だったり、三味線の源流はキルギスのコムスだったりでおもしろい。民族楽器にはシルクロードの歴史が秘められている。

バイオリンの源流を求めて民族楽器を購入市川武邦さん(66歳)
  手作りバイオリンの工房を開いていますが、元々は小学校の校長でした。趣味でバイオリン作っていました。若い頃にはレースに出たりして、自転車も好きです。定年後はシルクロード自転車旅行が楽しみです。また、バイオリンの源流を求めて、シルクロードの各地で民族楽器を購入するのも楽しみです。

本やヒョウタンで日本とシルクロードを結ぶ
  シルクロード自転車旅行では、読み終えた日本語の本を、1人が5冊持参して、旅先にある大学の日本語学科に寄贈している。また、アフリカ原産のひょうたん、その種を各地で購入して、日本の小学校に無料で提供している。ヒョウタンを育てながら、地理や歴史を子どもたちに学んでほしいと願って取り組んでいる。



付録: 「ツール・ド・シルクロード20年計画」第15次遠征 帰国後報告会
  「ツール・ド・シルクロード2007」テヘラン〜タブリーズ917キロ

日時:2007年6月30日 13時から
会場:国立市中央公民館
主催:シルクロード雑学大学

【日程】2007年 5月7日(月)から5月24日(木)
(走行は5月9日から5月20日までの11日間 途中に1日の休養日)

【参加者】7名(男性5名/女性2名、50代3名/60代4名)

【自転車の種類】マウンテンバイク3台、クロスバイク2台、ランドナー1台、ロード1台

@自転車の故障など(走行・整備担当者より発表)

故障/輸送時―特になし
走行時―パンク6回、パンク2回、パンク1回‥各1名
転倒―2名
追突―1名
今後の注意点、スペアチューブは各自1本は携帯したい。

A病気・けが
病気/あわててシシカバを食べて、のどの通りが悪くなり、水も飲み込めなくなったメンバー1名。1年前に胃の摘出手術をしていた。今後は、カルテの提出、既往症のある人には医師の診断書の提出を求める。

B宿泊所の様子など(総務担当より発表)
ホームステイ2回、そのほかはゲストハウス、ホテル、ロッジ

C走行距離 総計 917,4キロメートル

D気温・走行距離・路面状況など

走行担当の市川会員のメーターより&
1日目 5時45分から9時50分に走行、約39.94km、気温20〜35度 晴れ
平坦、高速道路で路面状況良好、交通量多い。

2日目 5時30分から16時 約63.02km 気温18から26度 晴れのちくもり
上り坂、標高1340〜1940m 交通量多い、道幅狭くなる。

3日目 5時10分から16時 約99.18km 気温12〜33度 くもり
上り坂10km後下り、1940mから標高0m。交通量多い。道幅狭い。

4日目 5時から13時 約76km 16度から20度、土砂降り、温泉へ行く
平坦、右手にカスピ海が時々見える。路面状況良好、交通量多い。
先頭と最後尾の距離が大きく離れる。大変危険。

5日目 6時から16時40分、約125km、18から25度 くもり
平坦、路面状況良好、交通量多い、特に大型車が多い。田植えを見る
休養日。

6日目 7時から14時 約80km 気温の記録ナシ 土砂降り、
平坦、交通量多い。旧道ではなくバイパスを走行。

7日目 5時30分から15時30分まで 約120km16から27度、晴れ
ちょっと上り坂があるがほぼ平坦、バイクの少年が多い。

8日目 6時から17時50分 約91.97km 18から20度、くもり
上り坂、0mから1400mの峠を経て1300メートル ジグザグに登る急な坂道、3名がバスに乗る。

9日目 6時から14時45分 約90.13km、8から26度 霧の地晴れ
上り坂のように記憶、路面良好、交通量多い。追い風に恵まれる。

10日目 6時から12時20分 約71km 12〜20度 晴れのちくもり
追い風に恵まれる。峠を越えるときに雷と雨に見舞われる。温泉へ行く。

11日目 6時から12時40分 約68km。気温不明 曇りのち晴れ
快適な下り坂で65キロも出た。上り坂で犬に3回も追いかけられた。


E全体の様子
5月7日(月) 成田発(14時50分)、ソウル経由にてテヘラン(4時30分頃到着、テ
ヘラン時間では23時頃)へ ホテル着は0時20分 ホテルではクーラーが稼動。日本の天候 くもり。ソウルにて機外へ出て1時間ほどで機内に戻る。

5月8日(火) 午前 自転車の組み立て。1名の自転車の後輪、ブレーキシューが逆
さまについていた。長澤は前輪のタイヤを交換。イラン考古学博物館、絨毯博物館観光。
ガイドのハリリさんの自宅でのホームステイ。マシェッド地方の伝統的な料理を、テヘラン大学日本語学科で学ぶ姪の方が振舞ってくれた。

5月9日(水) 5時15分頃ハリリさんの家を出て、タワーへ向かう。自転車1日目5時40分頃スタート。テヘランからカジサイまで、交通渋滞の中を走る。天候は晴れ。7時20分頃朝食。走行終了は9時30分頃か。走行後テヘランに戻ってテヘラン大学日本語学科にて本の寄贈。
エマディーさんの家にホームステイ。家庭料理の夕食を楽しむ。

5月10日(木) カラジ発⇒ガチサー 5時30分出発。気温20度。上り坂。9時45分、トンネルの手前にポリボックスがあり、停止を命じられる。危険なのでパトカーで先導してもらうことになる。木曜・金曜は、日本で言う土曜・日曜にあたる。そのために、テヘランからアルボラス山脈の峠付近やカスピ海で行楽を楽しむ車が多くなる。そのために、パトカーの同行となった。

  先頭と最後尾の距離が大きく離れる。危険なために後続の車をバスがブロックするため、自転車の後ろは大渋滞。抜いていく車に空き缶を投げられたメンバーもいたようだ。遅れたメンバーが、追い抜く車からシャツの袖を引っ張られそうになるケースもあった。大きく遅れたら、バスに乗ろう。ホテルを通り過ぎて坂道を上り、引き返してダウンヒルを楽しむ。ホテル着はノートに記載されていない。ホテル到着後雨が降る。

5月11日(金) ガチサー発⇒チャールース 5時15分出発。気温12度、曇り空で肌寒い。上り坂。6時20分で走行距離6km。その後2km続くトンネルを走行。所々に水が漏れており、場所によっては土砂降りの雨の中を走行する感じ。早朝なので、車両が少なくよかった。トンネルを抜けると下り坂だった。バスの人となったメンバーも一緒にダウンヒルを楽しむ。パンク発生。走行するバスの中でパンク修理の妙技。9時より朝食。まだまだ下る。12時ころ林の中でスイカ休憩。ピクニックを楽しんでいる家族連れに焼いたチキンをご馳走になる。1時半頃田んぼやカスピ海が見える。4時頃宿泊地着。

5月12日(土) 曇りのち雨、のち小雨。気温2度から11度。チャールース発⇒ラムサール。6時スタート。10分後には本降りの中を走行。8時頃、建設途中のビルで朝食、雨宿り。またもやホテルを通り過ぎて戻る。今回は平坦。泥まみれのわれわれがと泊まるにしては、立派なホテル。通り過ぎたのもやむなし。自転車を洗車。温泉に行く。

5月13日(日)
ラムサール発⇒ラシュト 6時スタート。6時45分カスピ海の海辺で朝食。田植えの様子をみながら走行。カスピ海沿岸の走行は平坦。やっぱり峠越えがほしい。母の日、女性二人にお祝いのケーキあり。全員で食べた。

5月14日(月) 休養日。自転車に乗らないのに食欲は持続。バイキング形式の朝食でフランスパンを7切れ食べた。マースーレー観光。棚田の続く坂を上る。バスだから楽だなあ。デモ危険なときもあった。イランの音楽に合わせてドライバーが踊る。うまいものだ。

5月15日(火) ラシュト発⇒レズバンシャー。7時出発。土砂降りの中を走行。10時過ぎ、濡れた路面で転倒、バスの人となる。1時頃レストランで昼食。その後、ホームステイ先を通り過ぎ戻る。14時頃到着。カスピ海の畔にある宿。

5月16日(水)
レズバンシャー発⇒アスターラー。5時30分出発。快晴。朝日が良かった。スタッフがナンを買ったら、朝食の休憩となる。高台の上にとりでの遺跡を見つけ、急遽、探検隊となる。水田とカスピ海がきれい。陶片がたくさん落ちていたが、ガラスはなかった。イラン人4人のサイクリスト、ヨーロッパ人のサイクリスト2名と2組すれ違う。通常、サイクリストを見かけたら、互いに情報交換する。イラン人とは情報交換ではなく、女性サイクリストの服装を聞いてみた。スタッフもなれてきたのか、スイカやオレンジの休憩と、休憩にも違いがあるようになった。ホテルの水に遺物があり、ホテル側誤る。長澤、昼食にナンを1枚食べ、食べ過ぎにて夕食はサラダとビールモドキのみ。

5月17日(木) アスターラ発⇒アーダビル。6時頃出発。アゼルバイジャンとの国境沿いに走行。ペルシャ語で「撮影禁止」と注意書きがあるようだが、教養のない長澤には読めない。上り坂。長澤の自転車は後輪の軽いギア2枚が入らず。12時半頃0メートルから1000メートルにあがったようだが、気温17度。バスの人は寒いようだが、自転車の人は暑い。2時15分、トンネル手前で1445メートルという。土砂降りつきのトンネル。路面も荒れていた。トンネルを過ぎると道路状況は快適。全体を止めてバスの人も走行できるようにした。バスを追ったときの時速は65キロだった。長〜いと思った下り坂も、あっという間に過ぎた。犬に追われながらも、平坦な麦畑を走行。昼食は4時のようだった。腹ペコ青虫状態。ホテルが分からず市内観光付きの走行となった。でも、宿泊のコテージは、湖の畔で、雪山が見えるいいところだった。夕陽も朝日も見えた。ピザを食べたが、お好み焼きという人もいた。

5月18日(金) アーダビル発⇒サラーブ。晴れ。6時の気温は6度。湖の畔で散歩などを楽しむ市民を見ながら走行。2名の女性だサイクリングをしていた。成人女性のサイクリング姿をはじめてイランで見た。8時頃朝食。30`ほど走っている。雪山がきれい。菜の花畑がきれい。遠くに日干し煉瓦の集落があり、羊の遊牧が多くなった。上り坂の途中で、ピクニックの家族連れと会うことが多い。今日は金曜日、休日なのだ。いろんな御菓子を戴いた。水やジュースも戴いた。金曜日の上り坂は、出会いが多い。のぼりの途中、55キロ地点でロードレーサーの4人組に追い抜かれる。その後4人と記念撮影など。大学生の練習のようだった。ホテルでテレビ局の取材を受ける。

5月19日(土) サラーブ発⇒ボスターン・アバッド。6時出発。晴れ。給水タンクの上にコウノトリの巣があり子育ての様子。坂を上るほどに天気は悪くなる。上り坂で雨と雷に遭遇。晴れたと思えば雨。まったく読めない大陸の天気。気温も低い。内陸部では、1日に四季がある感じだ。ホテルは、道路沿いにあるドライブインという感じ。シャワーもトイレも共同。すっかりイラン様式のトイレが身について紙にすがることもなくなった。トイレットペーパーを使用しないと、二酸化炭素の削減はどれくらいになるかなど、考えるようになった。温泉に行った。出発前の転倒で痛めた右足首、平泳ぎをすると痛む。路地を歩く。スカーフを頭に巻いて自転車に乗る子供を見かけた。イランの子どもたちも自転車が好きな様子だった。

5月20日(日) ボスターン・アダット発⇒タブリーズ。6時スタート。7時頃湖の畔で朝食。トラックドライバーは、アルマトイを出発してイスタンブールまで行くという。ロシア語での挨拶となった。運んでいるのは、Tシャツかその生地のよう。犬に3回も追われた。タブリーズの町に入ると直ぐに後輪がパンク。「もう直ぐホテル」を信じて渋滞の中を走ったが、ホテルまでは10キロあった。ゴールをむかえてくれたのは、テレビカメラだった。自転車を乗りこなす能力が大きく違いすぎた。自転車ツーリングを甘く見ていたメンバー、自転車の服装を甘く見ていたメンバー。このメンバーで事故もなくゴールを迎えられたのはありがたいこと。感謝。自転車を洗って解体した。この時期、イランでは観光の始まるシーズンに備えて、ホテルの設備を工事しているところが多いように感じた。このホテルでは、入り口とロビーを工事していた。

5月21日(月) アゼルバイジャン博物館を観光。キャンドバーン村を観光。すっかり普通の観光客となる。

5月22日(火) 自由時間。夜、タブリーズからテヘランへ。5時にホテルを出て、8時30分の飛行機が1時間遅れの出発となる。テヘランのホテルについたのは、11時過ぎだった。

5月23日(水) 9時にチェックアウト。バザールへ向かう。テヘランはすっかり夏だった。気温30度を超え木陰が恋しい。買い物で荷物はだんだんと膨らんでいく。頼まれているドライフルーツやナツメヤシは空港で買った。飛行機から見る星空は、きれいだった。地上の家々の明かりと共に見ていると、毎日の生活は昼も夜も星がいつも見ていると感じた。

5月24日(木) 12時過ぎに成田到着。玄関がゴールだから、もう少し安全に気をつけて家路についてもらうことにした。植物検疫を終えて、到着ロビーに出たのは、1時頃。14時50分の立川域のバスに乗って帰宅。玄関ゴールは17時。

今回のコースの特徴/
雨が多かった。行楽客に苦労したり恵まれたり。ホームステイは、料理が多彩。

反省/
走り込みが不足していながら、大きく遅れてもバスに乗らないメンバーがいた。他のメンバーが交通事故に巻き込まれたり、車同士の事故の原因となるので、早めにバスに乗ること。

女性メンバーの中に、マントを着ないで自転車に乗ったメンバーがいたが、ネグリジェで街中を歩くようなもの。理不尽だと思われる法律であっても守れない人は今後の遠征メンバーには加えない。一人が法律問題で警察に拘束されると、大使館、外務省に連絡をして拘束を解いてもらうのに労力と時間を要する。アメリカ人が銃を持っていないと危険だといって、日本国内で銃を持ち歩いて問題になるのかならないのか。考えるまでもない。