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シルクロード雑学大学(歴史探検隊)

「ユーラシア大陸を結ぶ夢」(長澤法隆)

 (次の文章は、岩波書店編集部編 『定年後「もうひとつの人生」への案内』(1999年発行) に掲載するために、定年後の生き方をどのように計画しているかを公募した際に長澤 法隆が応募し、700編ほどの応募原稿の中から選ばれてた原稿に加筆しています。)
 

 仕事に追われて日々を過ごしているうちに、「夢」を忘れていることに気づいたのは、義務教育、高校、大学、就職、定年後といった生き方を、偏差値による序列で決めているように思われる現代っ子の様子に疑問を抱いてのことだ。公務員になったり有名企業に勤めたいという現代っ子は多い。しかし、「地球の反対側まで歩いていきたい」「月や火星に行きたい」といった冒険や夢を語る子どもに出会うことは稀有である。子どもが夢を抱けない時代。それは、「大人が夢を抱いていない時代」であることに原因があるのではないか。

 こんな思いで、「働く大人たちの『未だ冷めやらぬ少年少女の夢』の具現化を通じて、そのフィールドである46億歳の地球と話し、大地と人々の共生の道を探る」ことを目的として、市民サークルを発足させたのは1991年のことであった。以来、童心に返って、子どもの頃に描いた夢の実現をライフワークとして追い続けている。

  この市民サークルのフィールドとして、シルクロードを選んだ。玄奘三蔵、マルコ・ポーロ、スタインやヘディンといったシルクロードの旅人に子どもの頃からあこがれ、いつかはシルクロードを夢見たいと思い続けていたのだった。さらに、日本にとって国際交流の源流であり文化的な関わりも大きいことから、フィールドをシルクロードに絞ったのである。しかし、テーマとして取り組める分野は広い。

  a 異文化交流史
  b 中国史
  c 中央アジア史
  d 民族史
  e 食べ物
  f 音楽と楽器
  g 政治
  h 経済
  i 果物や野菜などの植物
  k 動物
 など、趣味や特技や好奇心、経験に合致した分野からライフワーク始められる。シルクロードには、ライフワークとして取り組める多くのテーマが秘められている。

 わたしは、
  1番目 玄奘三蔵の足跡
  2番目 漢の時代と唐の時代におけるシルクロードの道路事情
  3番目 果物の伝播の足跡
  4番目 シルクロードに暮らす朝鮮族の習慣
  5番目 地球環境の変化(砂漠化や異常気象)
 この5つのテーマに注目している。
 
 ライフワークとしてシルクロードに取り組むためには、自分の目で現地を見ることが大切になる。しかし、シルクロードを旅するには、時間とお金が必要だ。また、シルクロードを旅することができるならば、昔のラクダを連ねたキャラバンのように、極力文明の力に頼らないで旅をしてみたい。自らの脚力で現代シルクロードの様子を見て、伝えたい。地球の凸凹や風を感じながらシルクロードを旅行したい。ニワトリや羊、馬や牛の鳴き声を耳にすることでオアシスが近づいたことを感じたい。路地に入って人々の暮らしを体感したい。声をかけられたら止まり、招かれた民家の中で水や果物を御馳走になり、オアシスの人々の生活に触れたい。バザールに立ち寄って、シルクロードの活気の中に身を置きたい。

 そうなると、ますます時間が問題となる。中国の西安とイタリアのローマを結ぶシルクロードは1万5千km。歩いて旅をすれば、2年間弱、自転車で旅すれば半年間を要する。休暇、これが問題だ。旅の計画に何らかの工夫が必要だ。

 1993年、シルクロードの1万5千kmを20年かけて自転車で旅行する『ツール・ド・シルクロード20年計画』として、子どもの頃からの夢をスタートした。約1万5千kmの道のりを20分割し、毎年夏休みに20分の1づつ自転車でシルクロードを見聞し、20年後の2012年にローマにたどり着く計画である。また、旅費を安くするために、市民サークルのメンバーに呼び掛けて賛同者を募り、ツアーを組むことにした。

 20年計画としたのは、ともすると銀行や保険会社は、収入と支出を予測した上で、銀行口座の残高に見合ったライフプランを描いてくるケースが多い。しかし、銀行口座の残高に合わせるようにして、一回だけの人生、その夢を描きたくないと考えている。ライフワーク(夢)と気力と体力、仕事、子どもの成長を含めた家族の未来、これらを考慮したライフプランを描きたいと願いを込めて、20年計画とした。ほんとうに自分が取り組みたいと願っているライフワークを人生の中心に据え、そこへ銀行口座の残高を加味してライフプランを組み立てる方法を提案したかったのだ。

 1回の自転車旅行に要する時間は18日間で、9日間をペダルを踏みながら現代シルクロードを見聞する時間にあてている。18日間の旅行を20回続けると、360日間もシルクロードを旅行することになる。1年間、仲間たちと夢を追う旅行を楽しめる。また、半年間もシルクロードの風や匂いや地球の凸凹を楽しめるのだ。塵も積もれば山となるのはことわざの通りである。継続は力であり、夢を実現する原動力であることを、数字によって裏付けていくれた。自転車旅行の参加者は、庶務、衛生、整備、記録のいずれかのチームに入って、団体の一員としての役割を担うことにした。半年前から月に一回集まって準備会議を重ね、各チームの準備によって全体の体制を整えていく。

 そして、出発すると、中国では円卓を10名ほどで囲んで食事をする。一日中ペダルを踏み続けているメンバーの楽しみは食事。しかも、中学生から70才まで。孫とおじいちゃんやおばあちゃん程に年令の離れたメンバーは、一緒に円卓を囲むことになる。円卓を囲んだ夕食では、向かい風や下り坂といった厳しい地球の凸凹や自然が話題となり、「ありがとうございました」「やっぱり若いねえ。うらやましいなあ」と、食卓は盛り上がる。みんなが同じ体験をしているだけに、年令に関係なく対等に話し合えるのは魅力だ。核家族化が進み、三世代で食事をする機会が少なくなっている時代だけに、円卓を囲んだ食事はとても楽しみなひとときである。また、風速20mほどの向かい風で厳しい走行を強いられ、一番年下の中学生が70歳の最高齢者の風除けとなる。年令や学歴、所属や地位に関係なく「弱者」を思いやる行動が自然に生まれる。中高年向けのサークルもあるが、さまざまな世代、さまざまな職業の人たちが集まっているサークルのよさを感じるひとときである。サークル活動を始める人には、“3世代同居”の年令構成をお奨めしたい。

 1993年に西安をスタートしたが、2002年までにトルクメニスタンのマーリまでの6500kmを自転車で見聞し、参加者は延べ約290名。伴走のバス、添乗員の同行、医師の同行といったバックアップ体制も準備しているので、熟年層の参加者が多い。平均年令は50歳を越えている。3分の1を女性が占めている。男性では、定年を間近にひかえた55歳前後、生きがいを求めて何かにチャレンジしたいという参加者が目立つ。女性では、子育てに一段落した40代、これからは自分の時間を楽しみたいと話す参加者が多い。

 さて、「ツール・ド・シルクロード20年計画」の10回の現代シルクロード見聞は、ウズベキスタンのサマルカンドまで、ほぼ玄奘三蔵の足跡を追ってきた。さらにブハラ、トルクメニスタンのマーリへと西へ進むルートは、約2000年前の古代シルクロードの交易ルートを追っている。

 わたしの旅のテーマに眼を向ければ、漢の時代における西域の道路事情に関しては、『漢書』『史記』などで追い続けている。各地の遺跡から発掘された遺物もヒントにしている。果物の伝播の足跡については、シルクロードを通って日本に伝わったザクロやイチジク、ブドウや桑に注目し、シルクロードのオアシスでは度のような保存方法があるのか、食べ方はどうなっているのか、どんな種類があるか。果物の木は、楽器や家具など、どんな分野で利用されているのか。以上のような点を、バザールや果樹園で観察している。

 ザクロは、シルクロードの旅人にとって水筒代りであり、手で揉んで、中の水分を葦などの茎をストローのように使って飲んでいたようだ。だから、中央アジアで売っているザクロは、ぱっくり割れてはいない。

 イチジクは、乾燥させて持ち歩く保存食であったことなどが分かった。中国の西端のオアシスであるカシュガルで買った乾燥イチジクを、自宅のプランターに埋めたところ、芽が出てきた。こんな体験から、アラビア原産のイチジクは、保存食として利用されながら日本に伝わってきたと想像することができた。

 蘭州では、韓国で生まれ、日本の大学で医学を学び、医師として勤めた満州で敗戦を迎え、満州でそのまま医師として中国人国籍を得たが、文化大革命の時に苦労した朝鮮族の老人の話を聞くことができた。タシケントでは、サハリンで生まれ、母親の死により朝鮮族に預けられた日本人が、朝鮮族として中央アジアに強制的に移住させられ、ソ連のコリアン・コルフォーズで育ち、成人してからはジャズマンとして活躍した老人の話を聞くことができた。二人の兄は、日本と北朝鮮にいるが、いまは居所がわからないと語る老人。

 歴史に翻弄された人生を、どのようにして多くの日本人に伝えて、手を差し延べる方法を模索している。また、地球環境の変化の調査では、砂漠の植物を写真に納めて記録している。

 2002年には、中央アジアにおける異常気象の研究をしている千葉大学の助教授から、GPSカメラを預かって旅行に出かけた。シャッターを押すと、フィルムの上部にグリニッジ標準時、緯度経度、方角が数字で表示されるカメラだ。このGPSカメラで撮影した写真を、千葉大学の助教授、日本大学の助教授に提供し、異常気象の研究に協力した。

 ところで、現代シルクロードを見聞する自転車旅行は、あと10回楽しめる。はじめた当初、わたしは39歳。まだ、体力に自信はあった。しかし、最近では、加齢に運動不足も加わり、体力の衰えを感じている。1週間に3回、40kmから90kmのサイクリング。早ね早起き、定時帰宅と、生活のリズムも自然と生まれた。今や、ライフワークが、生活の中心に座っているという感じだ。

 2012年ローマに到着する。わたしは59歳になる。自由業なので定年はないが、会社員の世界に当てはめれば定年1年前である。でも、ライフワークには定年がないはずである。

 2013年からは、紙やイスラム文化の伝播した足跡を調べながら西へと旅行し、ユーラシア大陸の西端から大西洋を見たい。約5年を要すると思われる。その後は、再び西安に戻り、今度は東をめざしたい。佛教の伝播した足跡を追って、朝鮮半島を横断して奈良までペダルを踏んで、自らの脚力で巡りたい。とりわけ困難なコーすは、平壌から板門店を通ってソウルに至る部分であろう。しかし、シルクロードを宗教やさまざまな文物が通ってユーラシア大陸全体に広がっていた。このことは、ユーラシア全体を結ぶ交流があり、ユーラシア世界が「ひとつ」になれることを、シルクロードの歴史が示していると受け止めている。世界を一つに結ぶヒントが秘められている。だからこそ、シルクロードは多くの現代人の心を捉えているのではないだろうか。

 第2次世界大戦後、ユーラシア大陸の東西に民族を分断した国家が誕生していた。西にあった東西ドイツは、1990年に統一することができた。一方、東の朝鮮半島に誕生した二つの国家は、分かたれたままである。ユーラシア大陸を「ひとつ」に結ぶ脚力の旅を通して、ユーラシア世界を「ひとつ」に結びたい。それは、地球を「ひとつ」に結ぶ象徴となるからだ。そんな理由で、平壌とソウルを世界中の人たちと一緒に脚力で結んで、ユーラシア大陸とユーラシア世界を結びたい。「定年後」は、夢をライフワークとして取り組みたいと願っている。
   

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