Kyrgyz 自転車旅行2009 現地からの報告
Kyrgyz最終報告(7月8日作成)


ーはじめにー

Kyrgyz 自転車旅行2009は会員企画旅行で前田種雄が企画し、友人と共に実行しているものです。前田種雄としてはこれでKyrgyzに4年連続の自転車旅行です。

日程・地図・訪問地情報の詳細はこちらをご覧下さい。あまりの詳しさに驚かれると思います。

今回はTashkentからUzbekistanを横断し、Fergana地方を経由し、KyrgyzのOshに抜ける予定でした。ところが5月26日夜、ウズベキ国境で自爆テロ等があり、UzbekistanとKyrgyzの国境が閉鎖されたとの貴重な情報を現地に詳しい方から頂きました。

それからが大変です。ルート・Flight・日程変更で関係者に連絡しまくり、ようやくAlmaty経由でウズベキには入らないルートに変更し決着しました。

国境閉鎖は解除されたようですが、問題の推移をネットで詳細に調査し、現地に確認し、状況の変化を見守っております。状況は刻々変化しますので、現地着後にBishkekで関係者に状況確認後ツアーを開始することにしました。

いよいよ6月12日出発です。13日にはBishkekに入り、14日から移動開始の予定です。

今回のツアーではKyrgyzの南西部のUzbekistan、Tajikistan、中国との国境に近い地域に行きます。不安がないというとウソになるかも知れませんが、この地域を調べその魅力にとりつかれました。

参加者は男性5人。年齢は73,73,71,68,59才。自転車は4人、59才の人は乗馬と写真撮影が主目的です。

現地からのemailは大都市しか出来ません。その内容を以下に掲載しますので、ご期待ください。



 第1報  Bishkek から

 2009.6.12

12日全員無事成田発ソウル経由Almaty 着。空港でのビザ取得に時間がかかったが無事取得。
Janybekジャニベックさんの迎えを受け無事ホテル着。

Almaty 行きの飛行機でGPSを使うことを思いつく。飛行航路が分かってとても面白い。今後大いに活用したい。


2009.6.13

13日朝Almatyから車でBishkekへ。ホテルシルクロードロッジにて自転車組立。
全車故障なし。

ウズベキの国境安全問題、特に変化なしとの情報を旅行社Edelweissから得て予定通り明日Karakulに向け出発することにする。



 第2報  NARYN から
 2009.6.14 

予定道りBISHKEK発、TOO-ASHUUのトンネルを出たところから走行開始。
SUUSAMYRの大草原を14.6km走行。ここからALA-BEL峠までの道は緑の大草原、雪山、川、放牧のすばらしい景色。帰りにこの道を下ること決定。

この峠からKARAKUL側への下りも同様にすばらしい。

TOKTOGUL湖を過ぎ2220分無事KARAKUL着。宿は水力発電施設の建設、維持管理の技術者達に使われており、立派な宿であった。



2009.6.15

OSHに向かう。ウズベキ国境付近を無事通過し1350OSH着。
シャワー付宿。市内観光。



2009.6.16

SARY TASHへ向かう。悪路、工事中で予想外に時間がかかる。1625SARY TASH着。YURTの宿。トイレは離れているので特に夜は大変。夜ストーブの火力大幅低下。

燃料は泥炭。寒かった。深夜、車のクラクションが執拗に鳴らされうるさい。
夜、道路に羊の群れが寝ていたためらしい。

宿に着く前に車の中でバースト音がした。調べたら前田の自転車の前輪であった。

YURTに着いて調べると、タイヤのCarcassカーカス(側面)に穴があいておりチューブにも同位置に穴があいていた。穴部分にパッチを当て、それらを後輪に移動させた。

原因は、日本での自転車段ボール箱への梱包時に傷をつけたか、輸送中に傷をつけたものと推定される。

このタイヤを前輪に使いSUUSAMYRの比較的交通量の多い道路を15km比較的高速で走行したことを思うとぞっとする。

トルク遠征でも同様のタイヤ損傷が生じており、今後梱包時タイヤはリムから外して折りたたんで梱包した方がよいだろう。また、海外での組み立て時にタイヤ側面のチェックを必ずすべきであろう。


2009.6.17

LENIN峰を見る。すばらしい。30km先の7134m。感激。

IRKESHTAM PASSに向かう。ここもすごい悪路しかも工事中。IRKESHTAMとOSHの間はほぼ全面道路工事中。異常な光景である。工事は中国が行っているようで、中国製品の輸出路の確保である。

自転車走行せず。道は天山の山に囲まれすばらしい景色。国境着。最近の地震で家がペシャンと崩壊している。国連援助のコンテナーハウスあり。故障したトラックの運転手に食料をあげる。

この悪路をIRKESHTAMからOSHまでトレーラーを夜間も運転する運転手の苦労は大変なものだろう。1325分国境発、意外に時間がかかった。

夜、再びストーブの火力低下、ほぼ消えた。Sさん、Sさんの懸命な努力の結果、泥炭に赤々と火がつき寒さを感じず過せた。



2009.6.18

SARY-TASH発。OSHの手前舗装道路を52.3kmを自転車走行。OSH着。
Sさんの誕生会を盛大に行う。
宿のパソコンはINTERNET使えず。



2009.6.19

街のINTERNET屋は朝早くてやっていない。
ARSLANBOBに向かう。1230分着。滝を見に行く。人口1.4万人。全てウズベキ人。
Sさんは馬で宿に帰る。ガイド付きで1時間以上乗り300円。


2009.6.20

ARSLANBOBの宿から車で標高2100mにある滝に向かう。最後3km程度の急な登りを登り滝に到着。ここからARSLANBOBの森林全体を見ることができた。よい景色。
観光事務所までSさんは乗馬。事務所から宿までは自転車走行。

今日は、土曜日、観光客が多かった。JALALABADの大学生が試験後の休みで多数来ていたのでKHANABADの国境は閉まっているのか聞いたが何もわからず。また知らない、または無関心の感じ。情報コントロールではない様子。

全員極めて元気。ALCOHOL消費量極めて大。


2009.6.21

SARY-CHELEKに向かう。意外に時間がかかり車での移動で終わる。


2009.6.22

悪路を車でSARY-CHELEKに上る。湖に到着。周囲を雪山に囲まれすばらしい景色。湖の周囲は意外に開けていて、夏休みの学生が多数来ていたのは意外だった。KYRGYZ TVの美人女性アナウンサーのインタビューを受ける。最後にアナウンサーと一緒に”Kyrgyz Tourism Country" と言わされた。悪路を自転車で下る。


2009.6.23

遠路SUUSAMYRに向かう。ALA-BEL PASSから自転車走行開始。最初の30分は雨、霙で寒く視界も悪く苦労。晴れてきて、緑の開けた草原、小川、牧畜、雪山と云うKYRGYZ独特な雄大な景色の中を走行。SUUSAMYRKYRGYZの中でも雄大で最も景色のよいところであろう。


Yさんは約60kmの下りをノンストップで下る。路肩は危険物がいっぱい。車止めに使用し放置された大きな石、ガラス破片、破損タイヤ、動物の死骸等など。破損タイヤが曲者。ラジアルタイヤのワイヤかビードのワイヤの切断したものは細く先端が縫い針の様にとがっている。このため、M.Y二人がスローパンクした。

宿はトンネル入り口近くに開設されたスキー場の宿。すばらしいシャワーなどに感激。


2009.6.24

SさんはJANYBEKさんと何とTOO-ASHUUの峠を下る。残りのメンバーはKYZYL-OIへ。


2009.6.25

Aralまで自転車。その後、車でKARA-KECHE経由SONG-KULへ。最後の30kmを自転車走行。標高3000mでのアップダウンはかなりきつい。


2009.6.26

SONG-KULで休養。Janybekさんは自転車でSONG-KUL一周。


2009.6.27

SONG-KULからNARYN川まで車。NARYNの宿着。全員元気。

 


 第3報  Bishkek から
 2009.6.28

Naryn からTash Rabatへ。YURTの数が増えているのに驚く。
KYRGYZ人が大勢ダンスをしていた。着実に観光客がふえている。


2009.6.29

Torugarutへ向かう。天気曇り。天山見えず。
標高3500mのKYRGYZのCustomesの宿に泊まる。立派な宿で寒さ感じず。
夜、犬が啼いてうるさい。
Torugart地域の交通量がとても少ない。多分中国側のどこかが交通不可能なのだろう。


2009.6.30

快晴。天山、AT-BASHY山脈、CHATYR-KUL湖、全てがきれいに見える。
AK-SAY VALLEYに入る。予想通りの大草原。背景のAT-BASHY山脈が真っ白。素晴らしい。

ただし、ここから先の道路が本当に通行出来るのか不安がある。
地元の人に聞いても通れるとは言うが現在通れるのかその人は通ったのか疑問が残る。

そこで確実な道を行くこととし、AT-BASHYへ引き返す。

TUZ-BEL PASS付近で丘に上り天山、CHATYR-KUL湖を存分に眺める。
天山をこれほど近くで見られて感激。

AT-BASHYの宿に着く。奥さんにあなたは2006年に来たでしょうと言われる。
よくぞ覚えていてくれた。感謝。宿にはシャワーが出来ていた。


2009.7.1

AT-BASHYからNARYNまで自転車走行。右側のAT-BASHY山脈が素晴らしい。
KYZYL-BEL PASSもなんなく通過。相変わらずTruckが通らない。
TORUGART中国側の問題だろう。

BALGART着。子供達がSさんを見つけS, Sと叫ぶ。昨年来たことを覚えている。
夕方家族全員が外に出て一日の疲れを癒し、くつろいでいる。日本ではほとんど見られない光景ではないだろうか。



 2009.7.2

JYLUU-SUU温泉に向かう。途中のORUK-TAMの村でJanybekさんが村の青年にTOSOR PASSが通過出来ないようだとの情報を得た。多分積雪が多いためだろう。
急遽行き先を変更し、かなり遠回りになるがISSYK-KUL方面に変更しKOCHKORで泊まる。シャワー付きの立派な宿だった。
天気は悪く山は雪だろう。TOSORに向かっていたらかなり辛い思いをしただろう。


2009.7.3
 KOCHKORからBALYKCHYに向け自転車走行。途中から車に乗り、最後は自転車でKAJY-SAYの宿に着く。

ここの宿もとても立派。中庭もすばらしい。
ISSYK-KULも歩いてすぐできれいな砂浜、透明な水に感激。あいにく山が見えず残念。

宿の主人親子が何とSyriaのAleppoと美術工芸品の取引をしておりAleppoには何回も行っているという。

Aleppoのレストラン、宿、Souq(市場)の話しをしてAleppoを懐かしむ。
更に驚くことに、彼らはSyrian CottonのShirtsを着ておりそれを自慢していた。
1997年に1年以上かけ、ものすごい苦労をしてまとめたJICAのSyria繊維産業発展計画報告書のことを想い出した。

Syriaの繊維産業の発展を祈る。


2009.7.4
  朝KAJY-SAYの村を散歩していると宿の主人に出会う。ついてこいと言うので行くと、湖岸に行きいきなり服を脱いで水着姿で飛びこみクロールで泳ぎだした。52才という。

KAJY-SAYを出てCHON KEMINに向かう。CHON KEMINはKUNGOY ALA-TOUとZAILISKIY ALA-TOUの間にある盆地で日本の大糸線沿線の穂高の景色に似ている。

夕方村で、子供達数人がプラスチック製の竹とんぼを飛ばして遊んでいた。昔、自分も夕方こんな遊び方をしていたのではと思い懐かしかった。

 2009.7.5


BISHKEKに向かう。途中温泉に入りBISHKEK着。こちらの温泉はコンクリートプール。

KYRGYZの通信事情の悪さには参った。結局通信できたのはBISHKEKとNARYNだけだった。



2009.7.6

ALA-ARCHA国立公園に向かう。上高地のような景色。そこからJanybekさんの実家まで自転車走行。

これでKyrgyzの自転車走行は終了。520km以上走行。全員無事、怪我なし、事故なしは本当に良かった。


2009.7.7

Bishkekから車でAlmatyへ。Almatyで自転車屋を数軒見学し、Seoul経由で8日全員無事成田着。


2009.7.8

8日全員無事成田着