シルクロード、西へ

第7章 ビシュケクへ
 

仲間との再会


アルマトゥイでの退屈な毎日にも慣れ始めたある日の夕方、繁華街の一角で偶然、思いがけない仲間に再会した。

ウルムチで僅かな時間ながらも一緒に行動した日本人青年の「みこと君」だった。

彼はウルムチからカシュガルを経てキルギスへ入国し、そこからアルマトゥイを目指すルート取りをしており、私よりアルマトゥイ到着が遅れるために会うことはないだろうと思っていたので今回の再会は嬉しい。

早速再会を祝して、街の食堂で生ビールを飲む。

「このあたりのビールも薄いですね。内陸地帯は暑いのでこんなもんなのかな」と彼が言う。まだ、薄いビールに慣れていないようだ。

そういえば、同行していたケベック人のフランソワはどうしたのだろう。

「ああ、彼ですか。彼はカシュガルから南下してタシュクルガンに行きました。フンジュラブ峠を越えて、今頃はパキスタンのフンザあたりでのんびりしているでしょう」

そのルートも数年前に試みたことがあるが、冬期は峠が閉鎖されるために越えることができなかった。

「で、みこと君はどういうルートを辿るの?」と尋ねたところ、「タシケント行きのバスに乗ってウズベキスタンへ入国します」との答えだった。

そのルートは先日、韓国人の青年から聞いた少々危険な旅程と一致する。そのことを伝えると「えっ、それは知らなかった」と驚いている。やはり生の情報交換はガイドブック以上の価値がある。

それからはお互いに好きな文学や音楽のジャンルが似ていたため、その方面の話題に花が咲き、気がつくと夜の十二時を回っていた。

「僕の泊まっている宿は近いですよ」とみこと君が言ってくれたが、荷物のこともあるのでサイラン・バスターミナルまで戻ることにした。当然チェック・インしていない。空き部屋があればいいのだが。

みこと君に別れを告げ、バスターミナルへ帰る交通手段を探すことにした。無論、路面電車もバスも終わっている時間帯である。

     
 謎のモニュメント。いかにも旧ソ連を彷彿とさせる。 同じく謎のモニュメント。


深夜の白タク
アルマトゥイの街はタクシーが少ない。公共の交通機関が発達しているためだろうか、日中でもそれほど見かけることはない。

が、夜も更けて路面電車やバスが少なくなる頃、繁華街の道路脇は客待ちのタクシーでいっぱいになる。無論、正規のタクシーではない。無許可の白タクである。

私は日本国内で白タクを見たことがない世代である。中国へ初めて来た頃は北京や上海でよく見かけた。正規のタクシーがメーターを倒さずに客に相乗りさせるということもしばしばだった。現在、これらの都市では日本と同じく、メーターをきちんと倒す。

そのようなこともあり、白タクに乗ることは慣れていない。ベトナムあたりでやむなく利用し、あとでぼったくられたことを知って歯がみするのがせいぜいである。

     
 バス停。当然ながら行き先表示が読めない。   これは何かの冗談なのだろうか 

この状況では白タクを利用するしかないが、夜も更けている。運転手が強盗に変貌したりしたらえらいことになる。

とにかく、気の弱そうなドライバーを捜した。

探すことおよそ十分、ようやく「これは」と思うドライバーを探し当てた。

その青年は線の細そうな体にカーリーヘアと神経質そうな銀縁の眼鏡、いかにも文弱そうな雰囲気をかもしだしている。学生だと言われても分からないだろう。あるいは、本当に学生の小遣い稼ぎなのかもしれない。

彼のモスクビッチ412に乗り込み、思い切りドアを閉めると半開きのドア・ウインドーが情けない音を立てて震えた。よし、十分に威圧的な印象を与えているぞと自分に満足した。

「サイラン・バスターミナル」と告げると「五百テンゲ(約500円、当時)」と言ってきたので交渉して二百五十テンゲまで下げた。これも適正価格か分からないが、自分の思い通りの価格にまで下がったので「これは大丈夫だ」と確信した。

が、エンジンをかけた青年はにわかに豹変した。ギアを乱暴につなぎ、タイヤをきしませつつ車は動きだした。私はシートベルトをしていない。慌ててダッシュボードのでっぱりをつかんだ。

このまま青年が強盗になったらどうしようか、などと考えている間に、車はあっという間にサイラン・バスターミナルへ着いていた。いつもなら繁華街から四十分以上かかるのに、深夜ということもあってか僅か十五分の行程だった。安心してモスクビッチから降り立つと、真夏だというのに肌寒い風が吹き付け、思わず震えた。

 
利用した白タクと同型のモスクビッチ412。 


新しい宿

結論から言えば、簡易宿泊所は満員だった。

フロントのおばさんも仮眠室で寝ているようだ。この状況で起こしたら怒られると思いながら恐る恐る仮眠室の扉をノックすると、案の定、眠そうな眼を三角につり上げたおばさんが廊下に出てきた。

ロシア語と覚しき文句をひたすら浴びながら、身振り手振りで宿泊の意思を説明する。するとおばさんは声を張り上げ、大声で何やら言い出した。

おそらく説教を受けているのだな、と思った。それにしてもこのおばさん、数十年前は美人だったに違いない、と叱られながら考える。ロシアの女性は若い頃は美人が多いが、三十歳を越えると急に老けるようだ。おばさんの説教は止まらない。

と、おばさんの文句が止んだ。そして私に「こちらに来い」という風に手招きする。何がなんだか分からないが、言われるままについていった。

すると、簡易宿泊所を出て階段を降りたところに粗末な木製のドアがあり、中に入るとこれまた祖末なベッドが並んでいる。

どうやらここは簡易宿泊所よりさらに簡単な仮眠室のようだ。おそらく深夜にバスで到着した人々が利用するのだろう。ベッドはあるがシーツはかなり汚れていて、トイレはついていなかった。が、とにかく横になりたい。もう一度二階の簡易宿泊所へ上がってボイラー室から荷物を取り出し、一階へ降りた。中に入ると太ったおばさん管理人が仮眠室の利用料として二百テンゲ要求して来たので支払い、着替えて横になった。

横になって考えた。そろそろアルマトゥイでやるべきことは終えたようだ。ウズベキスタンのビザも取得した。明日はキルギスへ移動することにしようか。そのようなことを考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。

 
カザフスタンはEU圏に接近しようとしているようだ。 

ほんの数分しか経っていないように感じる。まだ眠り足りない。次の瞬間、昨晩のおばさん管理人がドアを乱暴に開けて入って来た。なにやら大声で叫んでいる。

時計を見ると、朝七時を回ったところだった。もう朝なのか。しかし、もう少し眠らせてほしいと布団を被ったところ、おばさんが手に持っていたほうきで私の体をばしばしと叩くではないか。

文字通り「叩き起こされた」格好となった。周りを見ると、他の宿泊客は既に荷造りを始めている。どうやらこの仮眠室は朝の七時になったら問答無用で出立しなければならない規則のようだ。

まだ寝足りないのか、それとも昨日の酒がまだ残っているのか、頭が痛む。このような体調でキルギスへ移動することになるのかと思うとうんざりしたが、夕方になったら体力も回復するだろうと考え、予定は変えずに夕方キルギス入りを試みることにした。

二階にある簡易宿泊所のボイラー室はもう使わせてくれないだろうと思い、バスターミナルの構内にある荷物の一時預かり所に行って荷物を預けた。ふと見ると、傍らにウルムチ行きの国際バスが停まっている。今ならまだ中国へ戻ることができる、いっそのこと戻ろうか、そちらの方が遥かに楽だ。一瞬そのような考えを抱いたが、やはり未知の国へ入る好奇心を抑えることはできなかった。

外に出るとまだ七時半というのに日差しがまぶしい。今日は厳しい一日になりそうな気がする。

     
 市内中心部。だだっ広い空間と大きな建物。 市内中心部に建っていたモニュメント。


アルマトゥイの繁華街

キルギスへ向かうバスには午後乗ることにして、午前中はアルマトゥイでやり残したことをすることにした。とは言っても、特にすることはない。せいぜいインターネットくらいだろうか。

先日韓国人のキム氏から教えてもらった、バスターミナル近くのスーパーマーケットに行くことにした。入ってみると、エアコンが効いていてとてもきれいである。トイレもこれまで見てきてきたような便座が外れているような代物ではなく、清潔なものだった。

インターネットをする前に朝ご飯を食べようと思い、スーパーマーケットを覗いてみる。キャビアやサーモンの缶詰など、いかにもロシアを連想させるような食材が置いてあった。ここはやはり「ロシア世界」なのだろう。

サーモンと生ハムを買い、朝八時前だと言うのに冷えた缶ビールも二本買い込み、マーケット前の駐車場でむさぼるように飲み食いした。迎え酒というのか、ビールを飲むと頭痛が引いて行った。ただし、少し眠い。

二階に上がった。二階はいわゆるアミューズメントパークのようになっていて、ゲームセンターや簡単なバー、そしてインターネットカフェがあった。早速インターネットをするが、日本語を読むことはできるが入力ができなかった。家族や親しい友人に近況報告をしなければならないが、やむなくローマ字で入力した。海外に行くと、このような問題が往々にして発生するが文句は言ってられない。

それより、隣りのバーに簡易宿泊所で一緒だった面々、すなわち鳥打ち帽を被った目つきの悪いおっさんたちがいて、私を見つけてなにやら話しかけてくる。嬉しそうになにやら叫んでいるので何のことだと耳を澄ますと「ポルノ、ポルノ!」と言っているのだった。私がアダルトサイトを見ていると思ったのか、それともアダルトサイトを見ろとけしかけているのか。うるさいながらも楽しい連中である。

 
スーパーマーケットの中にあったCDショップ。 

 インターネットを終え、繁華街へ行く路面電車に乗り込んだ。アルマトゥイはカザフスタン第一の街というだけあり、街の中心付近に「ジベック・ジョル通り」なるこぎれいなアーケード街がある。日本の繁華街に比べると随分とささやかだ。東京で言えば銀座や渋谷ではなく、新小岩や蒲田の駅前商店街くらいの規模であろう。市民がタクシーを乗り継いで遥かウルムチまで買い物に出かけるのも分かる気がする。

路面電車を降り、ジベック・ジョル通りを歩く。西側から入ると、まずは歩行者天国があり、それからアーケード街につながっている。道の両側には、スーパーマーケット、インターネットカフェ、韓国料理屋、クワスを売っている売店などが林立している。端から端まで、ほんの十数分である。訪れる人もそれほど多くない。後で知ったところによると、一般市民は郊外のバザールで買い物をしているらしい。

     
ジベック・ジョル通り。 路面電車に隠れているが、アーケード街の入口。

アーケード街を通り抜けると、路面電車の駅があった。そろそろバスターミナルへ戻ってキルギス行きのバスに乗り込んだほうがいいだろう。午後三時過ぎである。このおんぼろ路面電車に乗るのも最後かと思うと、アルマトゥイでの日々が急に懐かしくなった。もう少しここに滞在していても良いのではないか。しかし、私にはただ先に進むしか道がない。いつかまたアルマトゥイを訪れる日も来るだろう。

     
 クワスの売店。    いろいろな看板が立ち並ぶ。


バスターミナルにて
サイラン・バスターミナルに戻って来た。いよいよキルギスへ出発である。荷物を受け取り、ターミナル脇の食堂街を横切ろうとした時に声をかけられた。みこと君だった。シャシリクと黒パンをかじっている。テーブルの脇には大きなバックパック。そうか、彼もタシケントに出発するのか。

「いろいろ考えましたが、やっぱり直接タシケントに向かうことにしました。国境のトラブルは自己責任でなんとかします」と言う。

そうか、国境の様子はあくまで噂にすぎない。それを本当のことなのか解明すべく国境に向かうのもひとつの選択肢だろう。
「ところで」みこと君が続ける。「暗くなるには時間があります。バスの発車まで少し飲みませんか?」

彼もなかなかいける口のようだ。

「アルマトゥイというのも退屈な街でしたけど、離れるとなると寂しいものがありますよね」

図らずも、みこと君も私と同じ気持ちのようである。

運ばれて来た生ビールを一気にあおり、シャシリクをかじる。日本人と交流する機会はとても少ないので、旅や趣味の話から与太話まで盛り上がる。

「ガオさんは読み終わった文庫本などありますか? あったら僕の文庫本と交換させてもらえませんか?」

私は彼から「ガオさん」と呼ばれている。

そう言えば、バンコクの古本屋で買ったイプセンの『人形の家』がバックパックの底に眠っている。新疆の砂漠を走るバスの中で読み終えたのだった。

バックパックを開け文庫本を取り出すと、彼は「イプセンですか、ちょうど読みたいと思っていたんですよ」と喜び、代わりに岩波文庫から出ているランボオの『地獄の季節』を取り出して渡してくれた。昨日も少し喋ったが、相当な文学青年のようだ。

それから、一時間ほどビールを飲みながら文学の話をしているうちに、彼が乗るタシケント行き長距離バスの発車時刻となった。

「タシケントでも会えるといいですね」とみこと君が言う。

せっかく仲良くなったのだから、また会えればと固い握手を交わす。彼は雑踏の中をバスに向かって歩いて行った。

 
仲良くなった食堂のおねえさん。 


ビシュケク行きのバス

さて、ビシュケク行きのバスである。

これはバスではなく、正確にはミニバスたるマルシュルートカである。すでに書いたが、牛乳パックを横にしたような形状で、小回りが利いて飛ぶように走る。座席は窮屈だが、そこらの大型バスよりもきびきびしているので私は気に入っている。

ちょうど乗客を満載したマルシュルートカが発車したところであった。そのために私は特等席である助手席にありつけることになった。

髭をはやした初老の運転手は、外国人を見るのが珍しいのか、すこぶる愛想が良い。長距離の移動を行う際は、運転手や他の乗客との良好な関係が大事なのだが、この調子では問題なさそうだ。

そうこうしているうちに、少しずつ乗客が集まってくる。次の発車時刻はいつかと尋ねてみると、「乗客がいっぱいになり次第」とのこと。このあたりの感覚は、いかにもアジア的だ。

 
ビシュケク行きバスの運転手。 

いよいよアルマトゥイともお別れである。ほんの一週間ほどの滞在であったが、退屈な中にも去りがたい気持ちになった。

こうして午後六時過ぎ、ビシュケク行きの乗客を満載してマルシュルートカは走り出した。あたりは薄暗くなりつつある。

しばらくは見覚えのある道路を走る。先週、カザフ人の「バヤン」の家に泊めてもらった時に走った道である。その時は既に真っ暗になっていたが、今回はまだ明るいため、イメージが全然違う。何てことはない、草原の中の一本道である。

カスケレンを過ぎると人家も少なくなり、視界にはただ草原と遠くに連なる山々のみが目に入るだけとなった。ほどなくして日も暮れ、単調な景色におもわずうとうとしてしまう。

停車した感覚で目が覚めた。どうやらトイレ休憩のようだ。時計を見ると午後九時を回っている。あたりは何もない、真っ暗な草原である。山々が近くなっている。山岳地帯に入ったのであろう。

トイレ休憩とはいえ、トイレと覚しき物はなにもなく、草原で用を足せということらしい。用を足してマルシュルートカに戻ろうとすると、道の傍らに売店があったので水を買った。この水もやはり炭酸水で、とても飲みにくかった。

 
いよいよアルマトゥイともお別れである。 


ビシュケクへ

マルシュルートカは再び走り出した。と、十分もしないうちに行く手にゲートが見えた。多くの自動車が連なって停車している。ここが国境だった。

国境での審査はそれほど厳しくないようで、皆スムーズに手続きをして通過して行く。その様子はあたかも高速道路の料金所のごとき感覚である。旧ソ連の国々の結びつきの強さを見せられたような気がする。

我々の番になった。と、運転手が私に「降りろ」と促す。どうやら外国人はバスから降りて審査を受けなければならないらしい。荷物を持って降りようとしたら「それはいい」とのことだった。簡単な机と椅子が置かれているところに役人がひとり、退屈そうに座っていた。中国からカザフスタンに入国した時は、あまりに厳重そうな税関に驚いたものだったが、この国境はのんびりしたものである。

パスポートを出すと、役人はビザを一瞥しただけでスタンプをくれた。その間、約十秒。入国の際は十分もかかっていたのだから、その対応の違いには驚かされるばかりだ。

こうしてカザフスタン側の出口を通過した。バスに戻る。乗客はすでにチェックを終えているのか、それともノーチェックなのかよくわからないがとにかく、バスは動き出し今度はキルギス側のポイントへ差し掛かった。

ここでもバスを降り、役人がいるテーブルに行ってスタンプをもらう。当時、キルギスに入国するのに日本人はノービザで入国可能だった。パスポートを提出すると、役人が分厚い台帳になにやら記入をし、大きなスタンプを押して返してくれた。スタンプを見ると「ДОСТУK」とある。おそらく通関ポイントの名前であろう。

傍らに両替所がある。キルギスの通貨単位は「ソム」といい、看板に掲げられた表示だと、一ドルが三十七ソム程度であった。もっとも、看板の表記がすべてキリル文字だったので、実際のところはよくわからないのだが、持っていた四千カザフスタン・テンゲ(およそ四十ドル相当)を両替して千五百ソムと小銭が来たので、おおよそ正しいと言えるだろう。ユーロを意識したような単調なデザインのカザフスタン・テンゲに対してキルギスの紙幣は種類が豊富で、見ていて飽きなかった。

国境を通過すると、どうやらビシュケク市の北の郊外に差し掛かっているようであった。通りの両側には煌々と灯りのついた家々が立ち並び、それまでの寂しい草原が嘘のような光景である。

そのうちに片側一車線だった道路が三車線に広がった。いよいよビシュケクの中心部に近づいているのだろう。トロリーバスの姿も見える。暗い中でよくわからないが、ビシュケクの印象はアルマトゥイと同様、大きな都市のようだった。夜のやや遅い時刻になっているが、初めての土地に来た不安感というものはあまりない。友好的な態度の運転手や乗客、あるいは税関での穏やかな対応に安心したのかも知れない。

マルシュルートカはついに大きなバスターミナルに滑り込んだ。時計を見ると午後十時半であった。少し遅い時間である。ガイドブックによれば、安いゲストハウスは街の中心地にあるようで、ここからはやや距離がある。それよりも、アルマトゥイと同様、バスターミナルには簡易宿泊所があるに違いないと当たりをつけ、バスターミナルの建物のあたりをうろうろ歩いてみた。

すると、建物の傍らに長屋のような細長い建物があるのが目に入った。外から覗き込んでみると、長い廊下の入り口に受付と覚しき一角があり、やはりロシア系のおばさんが座っている。これこそが簡易宿泊所だと確信し、入ってみると果たしてそうであった。一泊百ソム(約270円、当時)だったが、内部はただひたすら固いベッドが並んでいるだけだった。

ひとまず宿を見つけたので安心した。ただ、キルギスに入国したという実感はまだ湧かない。明日以降、ビシュケクという街、キルギスという国にどのような印象を持つのか少しずつ分かってくるに違いない。楽しみである。

表の食堂で遅い夕食をとった。シャシリクとナン、そして生ビールというおなじみのものである。高原特有のひんやりとした空気が肌に触れる。心地よい風に吹かれつつ、ビシュケクの夜は更けて行く。