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『西南シルクロード紀行』 -第2章
                                                                 


第2章 石寨山 の青銅器文化


王墓

 
このあと私たちは李家(りか)山へ行くわけだが、石寨山から発掘された青銅器についても触れないわけにはいかない。

  石寨山の名を世界的にしたのは「滇(てん)王之印」の金印もあるが、同時に発掘されたユニークな青銅器群の質の高さであろう。1955年から1960年にかけて4回にわたって考古学者たちが50基あまりの王墓を発掘し、延べ4800点以上の青銅器、鉄器、玉器、金器を発見した。

  私は遺跡探訪の翌日、雲南省博物館にでかけ青銅器類を観て、さらに資料を調べて驚くことになる。中国の戦国時代(BC453~221)から前漢時代(BC206~紀元8年)にかけて、滇池周辺を中心とした雲南省東部の高原地帯に豊かな文化が栄えていたことを青銅器が雄弁に物語っていたのだ。稲作、漁労、採集、狩猟などが盛んに行われ、その豊かな暮らしぶりを青銅という物質を通して具体的かつ芸術的にあらわしていた。

 「百聞は一見に如かず」。雲南人民出版社・雲南美術出版社の厚意により『滇国青銅芸術』の中から9点(石寨山遺跡から5点、李家山遺跡から4点)を紹介する。



石寨山の全景。遠くからみると鯨の形をしていて、「またの名を鯨魚山という」と石碑に記載されていた。 昆明市の中心にある雲南省博物館。李家山遺跡から発掘された『牛虎銅案』の大きなレプリカが立っている。

青銅器1

1973年、日中国交正常化を記念して中国文明の貴重な文物が東京、京都で展示された。そのとき「石寨山遺跡出土」として貯貝器2点が出品されている。1975年に、白川静は『中国の神話』(中公文庫)で指摘する。「他に武器や、動物の闘争を示すみごとな青銅器があり、その形式、手法において北方のスキタイ系かと思われるものが多い」。さらに繰り返す、「スキタイ的な感じの透き雕りの銅飾、トンガリ帽の騎馬武人など、その文化は中原の漢代文化とは異なり、はなはだ異色に富むものである」。

最初は30数年前、来日したことのある『四牛飾貯貝(ちょばい)器』

当時、滇国では通貨であり、さらに財産の象徴とされた子安貝を蓄えるためにつくられた青銅容器である。貝殻は勿論、この地ではとれない。東南アジアの海との往来があったものであろう。この貯貝器は高さが50センチ、蓋の直径が26センチ。4頭の水牛が配置され、中央には金メッキを施された騎士像。腰部には耳があり、咆哮しながらよじ登ろうとする虎の塑像。立体鋳造のかたちが見事である。

4匹の牛と金メッキ騎士貯貝器(画像clickで拡大画像)

青銅器2

  続いて『戦争場面金メッキ貯貝器』
  直径30センチの蓋だけが発掘されたものである。中央にいるトンガリ帽の騎馬武人に注目していただきたい(イラストも)。切断された人間の首をぶら下げている。それよりも武人の左足のところに縄状のものが見えないだろうか。

  雲南省博物館の説明によれば、「中国はもとより、世界の歴史上初めて現れた鐙(あぶみ)であると思われる」。この貯貝器は前漢時代のものだ。あぶみという馬具の歴史は『平凡社百科事典』によれば

●片側だけの革などの輪の存在が前4世紀のスキタイその他で推定されている

●あぶみの発明につながる可能性が強いのは4世紀初めの晋墓から出土した騎俑(きよう)の左側だけに見られるあぶみ形の表現である

●中国における最古の実例は、桑の木で輪をつくって金銅板を張った輪あぶみ、5世紀初めの墓から出土

●ヨーロッパで560年ころ初めて現れた輪あぶみは金属製であった

とある。


戦争場面金メッキ貯貝器(画像clickで拡大画像)

 私にはそれが<世界最古のあぶみであるか>ということよりも、滇国とスキタイとの関係のほうが興味深い。滇国の文化は稲作農業を基本にしているが、遊牧民族の影響が強いということもお分かりいただけるだろう。青銅器類のいたるところに騎馬風習の痕跡が見られる。スキタイ系文化の特色としてはさらに「動物闘争文(もん)」があげられよう。


青銅器3



2匹の虎、大豚に噛み付く(画像clickで拡大画像)

   装飾用のバックルも多彩で、材質ではめのう、玉(ぎょく)、孔雀石、銅が使われ、形としては円形、長方形、それに不規則形がある。『2匹の虎、大豚に噛み付く』と名付けられた青銅の作品をご覧いただきたい。

 
 高さ12センチ、幅17センチ。動物と動物の死闘。真に迫った、躍動感。豚の上にのしかかる虎の尾に蛇が噛み付いている。このデザインを決定した人物、鋳造した技術者、職人はいったいどのような民族だったのだろうか? 作られた時代は紀元前、当時の中国のどの地方にこのようなデザインの青銅器があるだろうか。白川静はしきりに「スキタイ系かと思われる」を繰り返すのだが。

  ちなみに、「スキタイとは、はるか西の黒海(こっかい)の北一帯に強力な遊牧騎馬国家をきずいた民族のことである。すすんだ馬文化をもっており、(略)前7世紀頃から前3世紀頃にかけて強大さをほこり、ヨーロッパの諸民族を畏怖させていた」(西野広祥『馬と黄河と長城の中国史』PHP文庫)。スキタイ系文化の影響は強く感じられるし、そう指摘する学者もいるのだが、ここ中国・雲南省東南部と南ロシアはあまりにも遠くかけ離れている。



青銅器4

   『殺人祭り』というすごいネーミングの貯貝器。

  人間を神へのいけにえにして豊作を祈る儀式のことである。人を殺害して、その首と血で神を祭るとその年の豊饒を約束してくれるという信仰は、中国を始め東南アジア、日本もふくめた稲作民族に共通してみられるものである。

  写真では32体の人物が立体的に鋳造されていて、馬、牛、犬もいる。さらに、首の無い死体が一体あることに気付かれるだろう。いかにも残酷だが、農耕の神を迎えるための神聖にして厳粛な儀礼なのである。犠牲祭儀の青銅器は3種類出土しており、リアルで正確に描いていて貴重な資料である。製銅技術の高さに驚くほかはない。


殺人祭り貯貝器(画像clickで拡大画像)

青銅器5

『二人皿踊り』

 金メッキした飾りものである。二人とも手に皿をのせて踊っているのだが、説明では「雑技」となっている。それは「上海雑技団」と使われているようにサーカスなどの見世物のこと。

司馬さんの文章を再び借りることにする(『街道をゆく20中国・蜀と雲南のみち』朝日文庫)

二人皿踊り(画像clickで拡大画像)

「これも、同じ場所からの出土品で、同時代のものである。青銅で金メッキをほどこされた二人の男がおどっている。手足の長さは、チベット系民族の特徴というべきで、剣を帯びているところからみれば支配層に属する人なのか、それとも宮廷の舞踊奴隷が、祭祀のために踊っているのか。いっぴきの蛇をふまえているのは、蛇を征服したという意味なのか、それとも蛇を尊敬して蛇とともに豊年を祈願しているのか。

  古代、日本でもそうであったように、蛇
(のちに威厳をそなえさせて竜とした)についての信仰は水田農民のあいだに一般的であった。姿態の一瞬をとらえたできばえも、さきの乱闘(『戦争場面メッキ貯貝器』)と同様、みごとなもので、平面、静止、装飾風の日本造形史からみれば、はなはだエキゾティックにみえる」。さらに、司馬さんは「雑技は中原(ちゅうげん)の民族のものではなく、西方(主としてインドやイラン)からきたものであることは、ほぼまちがいないとされている」と続ける。

   つまりこういうことではないだろうか。滇国は、西南シルクロードの通過点に位置している。成都とインドの交易ルート上にあれば、インドを通して雑技文化が伝えられ、それを青銅器で表現するのはしぜんである。それが『二人皿踊り』であると。



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