ぼくはイスラム神秘主義を体験したことがある。
トルコでは一九二五年以来、イスラム神秘主義の信仰と実践は法律で禁じられている。
ここでこう問いたい人もいるだろう。
「でも、そもそも禁じられているものをどうやって体験したの?」と。
実はイスラム神秘主義は宗教的信仰としては実践してはいけないのだが、文化としてなら実践可 能なのである。売春はいけないがソープならOKである、というどっかの国のあり方と原理的には
似ている。
そんなわけで、もう一回。
ぼくはイスラム神秘主義を体験したことがある。
さて、イスラム神秘主義とは何であるか、ということになるのだが、それは端的に「神との合一」 という言葉で言い表されることが多い。基本的に、イスラムでは神の啓示が書き表されたコーラン、
そして預言者モハメッドの言行であるスンナなどに基づいたシャリーアイスラム法を遵守することがそのまま 信仰となっている。いわばとても理性的に神とかかわっているのだが、イスラム神秘主義は心で神
と一体化することを目指す。で、どうやって一体化するかというと、忘我の状態にいたることによ って、である。大雑把に言うと、陶酔した状態というかトランス状態というか、そんな状態になる
のだ。たとえばオスマン宮廷音楽の音楽院と称されたメヴレヴィー教団なんかでは独楽のようにク ルクル旋回しながら舞うことでそういった状態に至る。なかには陶酔状態になったときに、剣で身
体を突いたり、火の上を歩いたり、毒蛇を扱ったりする教団もあるらしい。
そしてぼくは火の上を歩いた。
っていうことになれば、ぼくの神秘主義体験談はドラマチックなものになるのだが、残念ながら 剣も火も蛇もなかったし、クルクルまわっちゃうようなこともしなかった。
ぼくの体験は、イスタンブールのとある所にそういった「文化」の実践に熱心な人々が集まる場 所があり、そこは千客万来で誰でも見学できる、と聞きつけたことに始まる。
ぼくはそのとき日本から遊びにきていた友人を伴なって、その「文化」を見学、つまり観光に行 ったのだ。本当に観光気分だった。正直なところ、そのイスラム神秘主義という「文化」の実践を
遠巻きに見ることが目的で、体験することは頭にはなかった。
もちろんそこは観光地ではない。知る人ぞ知る「文化」実践の場所なのだ。
それは六月だった。イスタンブールの雨季は冬にあり、六月は夏になりかけの乾いた空気がさわ やかで、これから遭遇するであろう修羅場を予感させるものは何一つない。
その場所に入ったのは夜の九時をまわった頃。「文化」の実践は十時以降におこなわれる。
住宅街にあるその場所は塀で囲われ、しかも頑丈な鉄の門が付けられている。イスタンブールの ほとんどの住人が集合住宅、すなわちアパートやマンションに暮らしているなかで、この「一戸建
て」はけっこう珍しい。ま、モスクの多くは「一戸建て」なんだけど。
門をくぐり、低い天井の通路を抜けると中庭があり、左手にゆかりのある神秘主義者たちの廟、 中庭の奥が「文化」実践の場となっている。
黄色い風船が高原の春の空気で膨らんでいくような期待感(どんな期待感だ?)を胸に、ぼくと 友人は右手の建物のなかに入る。
大学生風の男に英語で話し掛ける。
「すいません。見学させていただきたいんですけど」
「あ、えーと。イエース。イエース。OK。OK」
英語は苦手であるらしい。ドギマギしながら応えてくれる。
ぼくが英語を使ったのにはワケがある。それはこういうイスラム色の強い場所でトルコ語を話す といろいろと宗教の押し売りをされて辟易することを経験的にわかっていたからだ。トルコ語を知
らない物見高い外人。ここではこれを装うのにこしたことはない。
中年男がこちらにやってくる。タッケという丸帽子を被り、よれよれのジャケットを羽織り、白 髪混じりの不精ひげだ。今まで接してきたトルコの人とはどことなく様子が違う。
「君はいいけど、こっちの人は向こうの入り口から入りなさい」
口調は丁寧でありながら非難めいていて、とても歓迎するような感じではない。 しかもその英語 は発音も文法も完璧で、ぼくのさび付いた英語の比ではない。
観光気分で訪れた二人の日本人がここで別々にされたのは、ぼくが男で友人が女であるからだ。 モスクでもそうなのだが、どうやら男女が一緒にイスラム的空間を共有してはいけないらしい。そ
れが、たとえ「文化」だとしても。
彼女の目は、売られていく子牛のようである(見たことないけど)。
彼女はトルコ語はおろか、英語もままならない。
大丈夫だろうか?
心配が一瞬、頭をもたげるが、自分もどうなるかわかったもんじゃない。他人の不幸より自分の 不幸。英語の達人がいると知った今、ぼくの頭はどうすれば自分の身が「改宗しなさい攻撃」から
守られ、そしていかに気楽に神秘主義する人たちを鑑賞できるかでいっぱいだった。
建物のなかに通される。一足先に彼女は外の階段から二階の御簾のうちに通されていた。一階が 男性用、二階が女性用というわけだ。
建物に入る前に膨らんでいた黄色い風船はとっくにしぼみ、その代わりに不安という黒い風船が ドロドロの澱んだ空気で膨らみ始める。
さっき「イエース」と「OK」を繰り返した男が案内をかって出た。ドギマギしながら
「名前?」「中国人? 日本人?」「いつ、来る、トルコ?」
と英語で尋ねてくる。とても友好的で、いわばトルコの街でよく出くわすタイプの普通の青年だ。 先ほどの英語の達人が見せた非歓迎的態度にビビリを感じていたぼくは、この友好的な青年のそば
を片時も離れまいと心に決めた。
彼との友好を高めるためにこちらからも声をかける。
「名前?」「中国人? 日本人?」 「中国人? 日本人?」 という問いは、しゃれっ気を出したつもりで言ったのに、それは通じな かったようだ。
「ノー。ノー。トルコ人。トルコ人」 彼は真顔でドギマギしながら応える。 さらにぼくは「いつ、来る、トルコ?」と尋ねる。シャレで訊いていることを伝えたかったの
だ。 彼はなんだか、いやそうな目でぼくを見ただけで、以降、口を開くことはなかった。
沈黙。
心の友を失い、ぼくはあたりを見回す。
(後編へ続く)
|