蘭州から第2次遠征開始
「ツール・ド・シルクロード20年計画」2年目の1994年は、8月9日、黄河と共に栄えた河西回廊の入り口にある蘭州を出発した。
そして、10日目の8月18日、『東方見聞録』を記したマルコ・ポーロが約700年前に1年間を過ごした張掖まで約500キロメートルの走行にチャレンジだ。
10日間のうち、途中で2回の休養日を設け、走行は8日間とした。というのも4日目は、翌日に祁連山脈の東端にある標高3050メートルの峠越えを控えている。空気の薄い高度に順応させるために、峠より約20キロメートル手前にある天祝という小さな村で休養することにした。
また、7日目には武威というオアシスにある文廟を訪れて、約800年前、チンギス・ハーンによって歴史から抹殺されたチベット系の遊牧民国家・西夏の面影を感じたいと願っていた。
参加者は36名(男性24名、女性12名)。最年少は14歳で最年長は65歳。また、参加者は首都圏を中心としたが、愛知県、滋賀県、京都府、福岡県からも各1名か2名が参加している。出発の半年前から月に一回集まってシルクロードについて学んだり、衛生・整備・庶務・記録の4つの役割に分かれて準備を重ねてきた。
蘭州でラッシュアワーに遭遇
8月9日午前9時10分、蘭州市街地の東北部にある寧臥庄賓館の門を出たマウンテンバイクが、勢いよく天水路へ飛び出し一路西へ向かった。
快晴、気温27℃の中、ハンドルを握る面々は、いずれもヘルメットをかぶり、黄色や青といったカラフルなシャツ、ひざの上までの短いズボンを身に付けている。
公安のパトカーを先頭に3列に並び、黄河に沿って東西を結ぶ甘新公路へと進んだ。そして、出発の10分後、蘭州の街で一番の交通量を誇る中山橋南側の交差点に至った。時間が時間だけにラッシュアワーにぶつかってしまった。
赤信号を無視して交差点を横切ろうとするトラックに乗用車。そして、洪水のように容赦なしに押し寄せる自転車の大群。蘭州のラッシュアワーを見れば、中国の市民がいかにパワフルかよくわかる。それでも、先頭のパトカーがサイレンを鳴らすと、運転の荒い車も自転車もぴたりと停まる。こうして、ラッシュも赤信号も無視し、自転車キャラバン2年目の旅路は始まった。
1日目は、その名の通り黄色く濁った水を、満々と湛えて流れる黄河に沿って40キロメートル程西へ進み、黄河に架かる橋を渡った。街の中は片側2〜3車線ある上に、車線の幅も広いので走っていても安心感がある。また、中国の運転手は、追い越す際にけたたましく警笛を鳴らす。警笛が聞こえたら右側に寄れば安全なのだ。
2日目の午前は気温20度前後の冷たい雨の中を走った。安全のためにスピードは時速15キロメートルほどに抑えたので、身体は冷える一方だ。幸い、雨宿りに駆け込んだ農家で昼食をご馳走になっている間に雨はやんだ。
昼食後の走行は時速20キロメートルとしたので身体は温まる。とはいえ汗が流れることもなく、気温の低い分だけ楽であった。そのため、予定よりも早く午後3時半には宿舎に到着することができた。“砂漠の雨は、恵みの雨”という。思い出にしても然り。雨中の走行は、印象深く、辛い分だけ思い出に残った。
また、条件が厳しくなると、参加者は互いに励ましたり体調を気づかったりするようになる。自転車ツーリングにとっても、雨はやはり“恵みの雨”となるようだ。
蘭州を出て最初の3日間は、1日平均60キロメートルの走行であった。標高1500メートルの蘭州からこの3日間で約160キロメートル進んだ。3日目の宿泊地・天祝の標高は2500メートル。3日間、ずっとゆるやかな坂を上り続けた。
チベット族の子どもたちと国際交流
4日目の天祝での休養日は、チベット族の民族小学校を訪問して交流する予定になっている。外国人が立ち寄ることを禁じている未開放地区の子どもたちは、初めて見る外国人に歌や踊りを披露してくれた。小学校の入り口には、中国語とチベット語で学校名が書かれていた。シルクロードで多くの民族が織り成した興亡の歴史へと思いを馳せた一時となった。
さて、休養日後の5日目は、4キロメートル続く上り坂。しんどければ伴走しているバスに乗るのも自由だ。定年組みは、早々とバスでの移動と決め込んで風景を楽しんでいる。中学生や高校生、大学生は、意地になってバスに乗らない。体力でシルクロードと勝負している風だ。シルクロードの楽しみ方は、十人十色。
そして、午後には40キロメートルも続くダウンヒルが待っていた。この豪快さが自転車キャラバンの醍醐味だ。重力という自然のパワーを頂き、シルクロードの風となって高原を駆け抜けた。爽快な気分。上り坂の苦労は、一瞬のうちに吹き飛んでしまった。
6日目も下る一方。西夏の滅亡を通して民族の興亡の厳しさを現代に伝える武威に到着した。
変わらぬ風景のアクセントは、万里の長城
8・9・10日目は、天候に恵まれてゴビ砂漠の中を、万里の長城と平行に西進する。再び下る一方の坂道だった。だが、いくらペダルを踏んでも風景は変化しない。僅かに、人工衛星から見える唯一の建造物と言われている万里の長城が崩壊した姿。民族興亡の遺産が、風景にアクセントを描きながら、中国の歴史、大陸の大きさを見事に表して、ゴールの街・張掖まで続いている。
張掖にゴールして、自転車キャラバン36名の『夢』は実現した。しかし、2年目のゴールは新たなスタート地点となり、わたしたちはもう3年目の『夢』を追い始めていた。
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