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(ツール・ド・シルクロード20年計画)
●『ツール・ド・シルクロード2004』の旅の様子を報告します● |
「ツール・ド・シルクロード20年計画」第11回目の今回は、イランのバムからペルセポリスをめざしました。バムは、インドとペルシャを結ぶ要衝の地です。牛、お米、スパイスなどもバムを通って、インドからペルシャに伝わったと思われます。 |
★ヤズドは、ゾロアスター教徒が多い。ゾロアスター教の影響は、東大寺の春の行事「お水取り」にも見えると言われている。ペルシャと日本との交流は1000年以上もの歴史があります。 ★ ペルセポリスはアレキサンダーにより破壊されたオアシス都市。 ★ サイクリングでの参加4名、ウォーキングでの参加1名(50歳から74歳まで)。74歳は、ウォーキングを楽しみながらスケッチ旅行。 ★ 昨年12月に発生した地震で孤児となった子どもたちを訪問。募金より300ドルを施設へ寄付。 ★ 地震で崩れた世界遺産である「アルゲ・バム」の修復のためにイラン文化遺産委員会へ300ドルを寄付。 |
【旅行期間】 |
2004年8月12日(木)〜8月30日(日) 19日間 |
【ルート】 | バム〜ペルセポリス間 約1050q |
【スタッフ】 | 通訳・ガイド、バスのドライバー、トラックのドライバー |
【旅行日程】 | |||
1日目 | 8月12日 | 木 | 成田(14時55分)〜テヘラン(22時30分) |
2日目 | 13日 | 金 | テヘラン〜ケルマン(飛行機)〜バム(バス) |
3日目 | 14日 | 土 | バム滞在 町の様子を見る。「アルゲ・バム」の観光。 NGOを訪問。人口10万人の中、8万人の市民が死亡。 3450人の子どもが家族や親戚も失ったまったくの孤児となった。 地震で被害を受けたバムの様子を見ていると、45歳の男性が声をかけてきた。4人の子どものうち3人を失った。奥さんも失った。 一番小さい3歳の子どもが助かったが、ケガで下半身が動かない。ケルマンの病院へ入院している。しかし、ケルマンへ行くバス代がないのでほしい、という。 皿を洗っている女子高校生は、両親と二人の姉、ひとりの兄を地震で失ったという。祖父と従兄弟の3人でテント生活をしているという。姉は医師を目指して勉強していた。地震で多くの死者やケガ人に接して、自分も医師を目指す事にした。 しかし、高校は地震でつぶれたまま、教師も学校の職員も多くが亡くなってしまった。地震の後、授業はないし、学校から何の連絡もないという。 バムでは最低気温38℃、最高気温48℃。ホテルの室内も暑いので、クーラーをつけて、冷蔵庫を開けたままにして室内の温度を下げる工夫をしたほど。 |
自転車を組み立てる参加者。8月14日バムにて。 |
崩落した『アルゲバム』前を自転車やウォーキングで出発する。 午前6時、明るくなったらすぐに走り始める。8月14日 |
4日目 | 15日 | 日 | バムを自転車・ウォーキングで出発、標高1080m。90q走行して終了。 標高1880m。上り坂なのに向かい風に苦しいスタート。1名は、走行をはじめて1時間でリタイヤ。バスで移動する。 地下水路カレーズやキャラバンサライの遺跡を道路脇に見かける。 |
ホテルのレストランで他のグループの旅行者と談笑する参加者。 |
5日目 | 16日 | 月 | 前日の終了地点に戻り、走行開始。121q走行して終了。標高1808m。 地震で家族を失った子どもを見舞うためにケルマンの孤児院を訪問。 バムの地震で家族を失った子どもの数は多い。親戚がいれば、親戚に引きとって養育をしてもらっている。孤児院で暮らしている子どもたちは、両親はもちろん家族も親戚も地震で亡くしたまったくの孤児。孤児となった子どもたちをケルマン州にある国立の孤児院が、施設の収容規模に応じて引き取っている。 |
地震で崩落した世界遺産『アルゲ・バム』の前から、ペルセポリスをめざした。8月15日。 |
出発して200キロメートル。マハンという小さなオアシスの路地。8月16日。 |
6日目 | 17日 | 火 | 前日の終了地点から140q走行。終了時の気温45度。標高1500m。 |
7日目 | 18日 | 水 | 108q走行。アフガン人の難民を見かける。干草を車から降ろす作業をする労働者だという。標高1430m。 明日は、さわやかなうちに走りたいとの意見があり、5時出発に変更。 |
8日目 | 19日 | 木 | トラックの故障で出発は6時15分。早朝の気温20度。8時に走行を開始。94q走行。標高1530m。 |
参加者の市川武邦さんは、地元の人の持っていたバイオリンを借りて1曲演奏して交流した。 |
9日目 | 20日 | 金 | 5時に出発だが、お祈りのためにドライバーが遅れる。80q走行。 イランのナショナルチームらしき4人グループに追いぬかれる。 連日、道路の両側に見える山並みには、木は生えていない。草もない。 |
ケルマン市内の様子。強い日差しの中を行き交うのは車だけ。 |
10日目 | 21日 | 土 | ヤズド滞在。ゾロアスター教の鳥葬のための施設である沈黙の丘などを観光。午後は暑いので夕方まで観光地や博物館、バザールも店じまいとなるので、ホテルにて昼寝。夕方、ヤズドの旧市内を散策しているとシルクロードを研究している埼玉県内のグループ・ハルブーザ会のメンバーと出会う。(帰国後рり、11月27日の会合で遠征の報告を依頼される。) |
円錐形の建造物は干ぼし煉瓦でできている。地下には地下水道・カレーズがある。 |
11日目 | 22日 | 日 | 100q走行。標高1450m。標高2500mの峠を2つ越える。 キャラバンサライがいくつもいえる。 |
12日目 | 23日 | 月 | 走行距離不明。標高1850m。樹齢4000年の杉の木を見に行く。 |
13日目 | 24日 | 火 | 前日と共に245q走行。サラモンの母の墓などを観光。標高1830m。 |
木陰が見つからないので炎天下でのお昼となった。食べることは、自転車旅行の楽しみの一つ。 |
14日目 | 25日 | 水 | ペルセポリス到着。走行80q。ペルセポリス観光。 |
15日目 | 26日 | 木 | ペルセポリス観光後、シラーズへ。 |
16日目 | 27日 | 金 | シラーズからテヘランへ。 |
17日目 | 28日 | 土 | テヘラン滞在。 イラン文化遺産委員会訪問。テヘラン大学日本語学科訪問、一人5冊の日本語の本を寄贈。日本語通訳をしているハリリさんというイラン人をテヘラン大学より紹介される。地震の2週間後と3月20日にバムへ入り、子どもたちに文房具を配りながら絵や作文を書いてもらったという。 その様子を日本語でまとめたので、日本へ帰ったら出版できるように働きかけてほしいと依頼される。印税はバムの地震で被害を受けた子どもたちのために使いたいと。(帰国後、出版社を回っているが、中々難しい)。 原稿、写真、子どもたちが書いた絵を預かる。 |
18日目 | 29日 | 日 | テヘラン発 |
19日目 | 30日 | 月 | 成田着 |
【イラン自転車旅行の注意点】 | |
★ 金曜日は休日である。 | |
★ 夏は連日気温が40度を越える。 | |
★ 14時から18時くらいの間は、暑さもありお店もしまっている。観光もできない。 | |
★ 道路事情は、たいていのところは右側にバイクの走行車線(2メートルくらい)がある。無い所では、夕方などの交通量の多い時間帯は注意が必要。 | |
★ 服装は、長いサイクリングパンツか長ズボンを。 | |
★ 地元ガイドは、夏はサイクリングに向かない。春がよいと提案。秋は雨が多いという。 | |
★ 水は、道路脇に水を提供する施設があるところもあり、ここで飲料水も確保できる。 | |
★ 今回は、アップダウンも楽しめるコース。標高を上げる個所では、向かい風が強かった。 | |
★ 往来するドライバーは親切で、水、果物、詩集などを頂戴した。 | |
★ イランの夏はあまりにも暑い。脱水症状となったり、生活習慣病などもありサイクリング中に病人が発生するケースが予想されるので、来年は春に旅行する事にした。 |