「チャレンジ天山山脈ペダル越え」

(ツール・ド・シルクロード20年計画:第14次遠征)
実施:2006年8月


参加者感想文

前田種雄(1936年5月6日生まれ)

 感想要旨
・キルギスの自然は素晴らしい。これだけ自然に恵まれた国は世界でも少ないであろう。

・一般的に、旅行するときは目的地/ポイント(観光地・遺跡・遺産・自然等)を定め、そこに行くことを目的にすることが多い。しかし、今回のキルギスではポイントではなく、道そのものが良かった。道の変化、周囲の景色、そこに住む人々と動物たちとの生活等、が良かった。自然の素晴らしさを堪能できた。これこそ本来の旅だと感じた。その旅を自転車で走行したことがさらに良く、忘れがたい楽しい想い出になった。


「天山山脈ペダル越え」に参加して

1)トルガルト峠とは?

 最初にこの企画を聞いた時、トルガルト峠は難所で、会は1999(洪水),2000(通関)年といずれも計画通り走行できなかったため、再チャレンジすると云うことぐらいの知識しか無かった。トルガルト峠がどこにあり、どんなところでどんな問題があるのかは全く知らなかった。

 会として3回目の挑戦をするくらいのところだから参加する価値は十分あるだろうと思い自分なりに調査を始めた。

 インターネットで紀行文を読み写真を見てすぐに絶対行こうと決意した。

 しかし、いくつもの障害があることもすぐに分かった。即ち、トルガルト峠は中国の2級の国境管理地であるため、書類さえ整っていれば事務的に通過できる1級の国境越えとは異なること、土日閉鎖、平日も昼間のみオープン、突然閉鎖される、外国人の通過に障害がある等である。

 また、気象も激変し、真夏に大雪で閉鎖されたこともある。世界的な旅行案内書LONELY PLANET “Central Asia”2004年版はトルガルト峠に3.5ページを割きインターネットでも話題になっている。そして「最後に一言:トルガルト峠を越えようと決意したなら、強い意志を持ってしぶとく、想定できないことを想定し、通過するまで通過できることを期待するな。」と書いてある。

 トルガルト峠を越えると云う自分の夢を実現させるために自分として何をすべきかを考えた。

 結論は調査とtrainingである。

2)出発前調査

 調査はまず地図から入った。ところが最新であるはずのMicrosoftのENCARTAを見ると、我々が想定しているトルガルト峠からナリンへの道がない。かなり大回りをしないとナリンに行けない。

 そこでキルギス大使館に行き簡単な地図をコピーさせてもらい、さらにキルギスに出張している人がいる可能性がある会社を探し出し、友人を通じて出張者に帰国時に地図を買ってきてもらった。我々が想定していたトルガルト峠からナリンへの道は主要道路として存在していた。

 この地図を基礎に地図ソフトKASHMIRカシミール3Dでスペースシャトル地形データ(SRTM)を使って行程の高低図等を作成した。また、トルガルト峠越えに経験の深いキルギスの旅行社Celestial Mountainsからの情報を得て、トルガルト走行経験2回の長澤代表のご判断を仰ぎながら走行スケジュールを作成した。何回もスケジュールを修正し、行程間の距離を調べたので、現地走行の時は全てが頭に入っており走行が楽しかった。

 調査と現実で一番異なっていたのは道路の状態であった。

 調査ではAt-Bashyの手前からほとんどが舗装道路になるはずであった。ところが現実は舗装道路でも表面に砂・砂利・石があったり、表面のアスファルトが無くなり埋め込まれた砂利・石が表面に凸凹に出ている道路が極めて多かった。また、大きな峠の前後は完全に砂利道のままのところが多かった。

 私の自転車は幸い前後共にSuspension付きのため、手・お尻への衝撃が少なく助かった。砂利の大きさは大きく分けてcm、mm、0.1mm単位のものがあり、最も怖かったのは0.1mm単位のパウダー状のもので滑り、車輪がすぐに取られた。

3)出発前training

 次はtrainingである。上記の調査で高度の高いところでのアップダウンがかなりあることが分かったので国内でのtraining計画を作成した。5月下旬に白馬町・穂高町・蓼科に自転車旅行し、標高1000m程度に向かって上り、さらに6月下旬北海道の知床・摩周・阿寒などで峠を集中的に約1000km走行した。知床峠も3回上った。

 これまで上りは苦手であり、海・川・湖の岸に沿った走行を主体にしていたが、これで上りの走行にも自信がついた。7月下旬はtrainingの仕上げとして富士山・乗鞍で高地走行を計画したが、天候が悪く実現できなかった。

4)出発準備

 7月下旬に出発準備を開始した。自転車の整備、部品・用具の準備・補修、カメラ・ビデオの準備、トルガルト峠での防寒対策、地図・高低図・走行計画の作成、そして最後は自転車の梱包である。

 中国の空港での自転車の扱いの悪さは定評がある。もし、破損すれば現地での修理は極めて難しいだろう。そうなれば走行断念である。大げさに云えば1年前から準備しているのである。走行断念は絶対に避けたかった。梱包は木材やPETボトルを使ってderailerの保護を徹底的に行った。また、プラスチックの段ボールでスポークを保護し、金属と金属の接触を防いだ。

5)出発

 2006年7月30日予定通り成田を出発し、北京に一泊し、翌日ウルムチ経由でカシュガルに到着した。北京空港では自転車5台を横積みされたので、カシュガルでの組立時にはかなり不安があったが、幸い全員の自転車が無事でホッとした。

6)現地走行開始

 8月2日いよいよトルガルト峠まで約100kmのところにあるトパまで約60kmを自転車で走行した。日本では見られない広大な緑のない景色、ポプラ並木の道、川の周辺の緑と放牧風景等素晴らしい景色であった。無事、トパに到着した。

7)トルガルト峠越え


 8月3日、いよいよトルガルト峠越えである。

 トパの検問所を無事通過できるか、またトルガルト峠の天候はどうか、無事峠を越えられるのかが最大の関心事であった。トパの検問所の通過ではこれまで、中国の地図に台湾が書いてない、靖国の文字がある本を持っていた、ガイドとの民族問題で通過を嫌がらせさせられた等の問題を聞いていた。

 出発日の深夜、突然トパの開門時間が1時間遅らされ11時になるとの情報が入った。不安を抱えてバスに乗りトパの検問所(中国語ではトルガト検問所が正しい表記)に到着。検問を待つ人もわずか数十人なのに事務処理の効率が極めて悪い。幸い荷物は一切調べられなかったが、それでも2時間かかった。そして我々のバスに発車間際に乗り込んできた係官が、「国境までノンストップで行くこと、撮影禁止」を通告した。国境に着くまでに部落はあるが外国人は立ち入り禁止らしい。

 無事国境に到着。風もなく天気も良く防寒対策も不要。キルギス側の迎えの車も来ていた。自転車と荷物を国境のゲート?(牧場の柵程度のもの)を越えキルギス側に運んだ。あまりにもあっけなく国境越えができ、やや気が抜けた感じであった。

7)キルギス走行

 キルギスの車には通訳兼ガイドのジャニベック、運転手ビクトル、コックのニーナさんが乗っていた。ジャニベック君は好青年で日本語はとても自然で上手。その上、MTBを持ってきており我々を自転車で先導してくれた。

 早速走行開始。砂利道を下る。日本では砂利道等走行したことがない。ましてや下りの砂利道を何kmも走行する等と云う経験はない。最初は、景色を見る余裕などなく地面ばかりを見て走行した。7km走行してキルギスの検問所に到着。昼休みだから待てという。車に用意されていた弁当を食べる。

 検問所を無事通過し、砂利道ながら左に天山の雪山、右に標高3500mにあるChatyr-Kul湖を見ながらの走行を楽しむ。時たま来る大型トレーラーに追い越されるときの砂埃には一瞬視界がゼロになるなど悩まされた。

 一時小雨も降り心配したが、無事峠から62km走行し、キルギス時間で20時17分にキルギスのチェックポイントに到着し、この日の走行を終了した。周囲はかなり暗くなっており、ランプを点けて走行した隊員もいた。時間的にギリギリの到着であった。

 キルギスのチェックポイントを無事通過した。これで心配していた国境通過というやっかいな問題は全てクリアーされた。ここから車に乗り22時10分にTash-RabatのYurt(パオやゲルの様なフェルト張りのテント)の宿に到着。夕食後就眠。トイレが外の遠くにあるのには閉口した。

 8月4日からはキルギス内の素晴らしい景色を見ながらの走行を堪能した。すばらしさは私の文章表現能力では表現できないので写真(ホームページにも掲載)をご覧下さい。

 通訳兼ガイド、運転手、コックの皆さんはやさしい人達であった。こんな仲間と走行できたのは本当に幸せである。木陰でニーナさんが手際よく作る昼食はとてもおいしく楽しい想い出である。

 また、Guest Houseやホテルではなく、ほとんどをhomestayしたのが良かった。Homestayを行う家庭は比較的裕福な家庭であろうが、部屋は広く、立派な庭があり花がたくさん咲き、果実もなっている。欧州の人達も庭を楽しんでいた。キルギスで生活している実感が味わえて良かった。

8)キルギス自転車旅行のすばらしさ

 シルクロード自転車旅行(ツール・ド・シルクロード20年計画)に参加したのは2度目である。今回の走行と私が初めて参加した2001年の走行(ウズベキスタンのタシケント、サマルカンド、ブハラ)を比較し感想を述べたい。

・帰国後に想い出されるのは、今回は自転車走行中に見た素晴らしい景色、現地の人達との接触である。それに対して、前回はサマルカンドやブハラの素晴らしい遺跡・建物である。

・走行中の景色はそのすばらしさにおいてキルギスが圧倒的に良い。

・今回のコースは、毎日のコースがアップダウンに富み、素晴らしい景色と、景色の変化を十分楽しめるものであった。隊員が少ないのも良かった。自転車旅行の楽しさを味わうことのできる最適なコースを最適な人数で走行したと思う。

・素晴らしい遺跡・建物を見るだけなら観光バスでの旅行で十分可能である。今回は観光バスでは行くのが極めて難しいTash-Rabatやトルガルト峠に自転車で行くことができた。これもとても良かった。

・走行した隊員の数は今回は5人。前回は約30人と多人数のため現地警察の管理の下の集団走行であった。今回は5人で交通量も少なく、比較的自由な走行ができ、走行中に素晴らしい景色を堪能できた。前回は警察の管理の下に走行するため一団で走行しなければならなかった。特に集団走行初めての私にとって前後左右に気を使いながら走行しなければならないのは極めて苦痛であった。景色を見る余裕が少なく、また、写真を撮りたいところで止まることもできなかった。30人の集団走行は明らかに多すぎた。サマルカンド・ブハラは感動的であったが走行は退屈であった。

 最後にtraining、健康管理、安全管理について述べておきたい。

 調査の段階から今回のコースの素晴らしさが分かっていたので、身体の調子を絶対に崩すまいとtraining、健康管理、安全管理に十分注意した。今回は隊として無事故・転倒もなしで無事走行を終了できたのは本当によかった。

 出発6か月前から、破傷風(1)、狂犬病(3)、B型肝炎(3)の予防注射計7本を行った。病気になれば遠征はできなくなるだろう。費用約6万円は高いが保険代である。高山病予防薬ダイアモックスも持参し、服用した。

 今回の走行で得たものはアップダウンに自信をつけたことと砂利道の走行に少しは慣れたことである。国内でも砂利道を恐れずに走ってみようと思う。来年は71才になる。来年も良いコース、良い計画作りに加わり是非参加したい。

 この様な素晴らしい自転車旅行を毎年企画・実行されている長澤法隆代表に心から感謝します。

 帰国後に、今回の走行の記録(地図・高度・GPSデータ等)を詳細にまとめた。地図は現地で購入したキリル文字の正確なものを使用した。特に道路が正確に書いてあるのでとても助かった。今後キルギスに旅される方々の参考資料としてご活用頂ければ幸いである。

            
以上

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