吉川達也のポーランド自転車旅日記 |
2010年6月 ミュンヘンで乗り継ぎ時間が30分しかなくその上荷物検査、入国審査があった上ターミナルを500メートル以上歩かされました。あと100メートルのところで呼出にあってしまいました。無事、クルクフの飛行場着。待合室は無料で無線LANが使えてます。 後10分ぐらいで舘さんが到着です。 舘さんはワルシャワ経由なのでターミナルの移動で5分も歩かされました。 今、GPSを試してみました。ちゃんと地図がでました。(小生が海外Routableフリーマップをdownloadし渡してあった) |
海外Routableフリーマップの使用上の注意。 舘さんの報告で行き先にうまく行けず問題があったと書いてあります。 この原因は次の様なことと推察します。 地図の道路網を作成したとき、なぜか道路と道路の交点が繋がっていない(地図上では繋がっているように見えるのですが)というバグがあるようです。 このバグがあるととんでもない遠回りをすることになります。 このトラブルを回避するには下記の事前チェックをお勧めします。 ・パソコンの大きな画面でこの様なバグがないか予めチェックしておくこと。 ・GPSで画面を縮小して全体ルートを確認しておくこと。 |
目次 |
2010年6月: 18 19 20 21 22 23 24 25-1 25-2 |
26 27 28 29 30 日 |
2010年7月:1 2 3 4 6 7 8 9 10 11 12 13 13/14 15 16 17 18最終回 日 |
6月18日の報告 |
ポーランドで2番目に大きい町クラフクにベオグラッドから飛行機で到着しました。 電車、タクシーを乗り継いでホステルに。 4人部屋で先客が女性に驚かされました。とってもいい町です。 お祭りの最中でいたるところでイベントをやってました。 物価がセルビアの5倍ぐらい、日本より高値のようです。 町並みもヨーロッパを感じます。 吉川さんは飲み過ぎか最近添付を忘れます。 下記写真ようやく届きました。 飲みすぎです。舘さんも飲みますよ。 GPSの地図有難うございます。ちゃんと使えてます。 モールトンも快調です。舗装がいいので。 添付ファイル送ります。 |
ホステル前の公園 |
ホステルの玄関、その地下には怪しげなバーです。 |
ホステルの近くの町並み |
ホステルの近くの町並み |
ホステルの近くの町並み |
ホステルの近くの町並み |
夕食、鮭のグリルと鱒のグリルを頼みシェアー。久しぶりに魚。味もあっさり。おいしかった。 |
ホステルの近くの町並み |
ホステルの近くの町並み |
ホステルの近くの町並み |
ホステルの近くの町並み |
6月19日の報告 |
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アウシュビッツ博物館に行ってきました。 去年は過去最高のお客だったそうです。 全世界の人が見学すれば世界はもっと住み良くなると思います。 |
クラクフ中央駅 |
中央バスターミナル |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 脱走防止の為の有刺鉄線。電流が流れ二重になっている。 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 館長の住んでた家 |
アウシュビッツの写真 館長が公開絞首刑にされた台 |
アウシュビッツの写真 囚人がガスで殺され焼かれた建物 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 囚人が貨車で運ばれてきた引込み線。中央の建物が入り口 |
アウシュビッツの写真 その貨車 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 証拠隠滅のために破壊された処刑場 |
アウシュビッツの写真 その焼却室 |
アウシュビッツの写真 ガス室 |
アウシュビッツの写真 裸にされた更衣室 |
アウシュビッツの写真 引込み線の最終点 |
アウシュビッツの写真 このようなことが二度と起こらない様にとの祈念碑 |
囚人が寝泊りしていた部屋。中央は暖炉 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
アウシュビッツの写真 |
夕食を採ったレストランで水パイプを楽しむ女性 |
隣の席にいた少年。剣道で遊んでいた。 |
隣の席にいた少年。剣道で遊んでいた。 |
マルゲリータとパイ包みのカルボナーラ。 |
広場では結婚式 |
6月20日の報告 |
世界遺産のヴィエリチカ岩塩鉱山に行きました。 今日も雨、自転車でいける距離ですがバスで。英語のガイドつきのツアーに参加しました。 2時間たっぷり相当な距離を歩かされました。 岩塩を掘って送り出す様子の展示のほか多数の岩塩の彫刻、教会がありました。 地下100メートルから130メートルのところです。 写真は全て岩塩鉱山のものです。 今日と明日は元大学の言語学者の家にホームステイです。 日本語が達者なのに驚きました。 |
鉱山の入り口。入り口を入ると期の階段で100メートルほど下る。 |
ガイド |
塩を運び出す樽 |
岩塩の彫刻 |
教会 |
教会 |
岩塩で作ったシャンデリア |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩の彫刻 |
岩塩を運び出す気動車 |
地下136メートルでランチ |
出口までの3階建てのリフト |
出口までの3階建てのリフト |
6月21日の報告 |
バベル城、ユダヤ人町、旧市街を散策しました。 |
ホームステイしたアンジエイさん宅でお借りした部屋。 どうも大学英語教授の奥様の書斎兼寝室のよう。 |
旧市街 |
旧市街 |
バベル城 |
バベル城 |
バベル城 |
バベル城から見たヴィスア川。明日からこの川沿いにワルシャワへサイクリング |
ドラゴンの洞窟の外にあったドラゴン。火を吹く出す。 |
バベル城の貴族の住んだ部屋 |
バベル城の貴族の住んだ部屋 |
バベル城の貴族の住んだ部屋 |
ビールのジョッキが歩いていた。 |
ユダヤ人町での結婚式 |
映画シンドラーのリストの撮影場所。 |
映画シンドラーのリストの撮影場所。 |
映画シンドラーのリストの撮影場所。 |
ユダヤ教の教会 |
ユダヤ教の教会 |
ユダヤ教の教会 |
ショパンを記念したピアノ像で。 |
ショパンを記念したピアノ像で。 |
ホームステイしたアパートの隣の棟 |
6月22日の報告 |
クラクフの無線LANはどこもインターネットは出来たんですがメールの送受信が出来ませんでした。 パソコンが壊れたのかと心配しましたがこの田舎町のタルナウでメールが送受信できました。ホットスポットで出来る事がちがうのですか? 22日の報告です。 ポーランド最初のサイクリングです。 来てから雨ばかり、天気予報も雨だったんですが朝起きたら日がさしていました。 朝食後ご主人のアンジュエイさんがサイクリングの出発点まで自転車で案内してくれるとのことで3人でサイクリングしました。 途中アンジュエイさんが教授をしていた東欧で2番目に古いクラクフ大学などを案内してくれました。皇太子ご夫妻も訪れています。 スタート地点に案内された後タルナウまでは快適なサイクリングでした。ちょっと交通量が多いのと国道なので町を避けているのが。 タルナウではインフォメーションで紹介してもらったホテルが満杯で断られそのホテルで紹介してもらった三ツ星ホテルにとまれました。 部屋も広く、バスタブもあり、フロンと前に自転車も預かってくれ一部屋たったの3000円です。 サイクリングはアップダウンが続く道でしたが舗装もよく90キロ強走りました。 |
クルクフ大学 |
クルクフ大学 |
クルフク大学を訪問された皇太子夫妻を飾ってある。 |
クラクフ大学でアンジュエイさんと写真 |
クラクフ大学でアンジュエイさんと写真 |
コペルニックスのこの大学出身 |
コペルニックスのこの大学出身 |
大学の正門 |
シンドラーが住んでいたアパート |
アンジュエイさん |
アンジュエイさん |
ローマ法王 |
ローマ法王 |
国道4号線を走る舘さん |
ホテルのフロント |
フロント前の広場に自転車 |
ホテルの全景 |
タルナウの町の情景 |
タルナウの町の情景 |
タルナウの町の情景 |
タルナウの町の情景 |
タルナウの町の情景 |
タルナウの町の情景 |
タルナウの町の情景 |
夕食二つ頼んでシェアーすると言ったらちゃんと分けて持って来た。 |
象と舘さん |
6月23日の報告 |
今日は110キロのサイクリングの予定なので4時半に起き6時に出発しました。 ほぼフラットな道で舗装も良いのですが道が狭く100キロ近いスピードで巨大なトラックが追い越していくので命がけのサイクリングです。 8時ごろ小さな店でパン、ヨーグルト、チーズ、ジュースを買い朝食。二人分で240円、安い。パンも焼きたてでおいしかった。 目的地のサンドミッシェの手前30キロのレストランで昼食、メニューも読めず英語も通じずお客が食べている食事を指差し頼む。一皿を二人でシェアー。紅茶がおいしかった。 3時前に目的地のホテルに到着。 とってもいいホテル。大きなツインの部屋が3000円。 まずホテルのバーでビール、500ccが150円、クラクフの半値。 平らな平野になぜか丘がありそこが町。 120キロのサイクリングの後、丘に登るのはきつかった。でもこじんまりしたいい町です。 写真はいずれもビスワ川。ポーランド一の川でバルト海に流れていく。 この川沿いにサイクリング。 |
ビスワ川 |
ビスワ川 |
ビスワ川 |
ビスワ川 |
6月24日の報告 |
今日も100キロ近いサイクリングなので5時起床6時出発にしました。 起きたら天窓がぬれている。 なんと雨、その上寒い。でも行かなきゃならない。たいした雨ではないのですが追い越していくトラックの水しぶきを全身で受けるのが」。 ずぶ濡れでお腹が空いてヴィスワ川を渡ったBARに立ち寄ったが9時開店と何も出してくれず。隣の店でビスケットとジュースで朝食。 ヴィスワ川沿いのポーランドサイクリング協会推奨(?)のコースを走る。車も少なく快適なコース。ただ雨なのが。 途中ポーランド水害の被災地を通る。まだ復興されておらず水だらけ、腐敗臭が。 雨の中カジミエージュの町に到着。 ポーランドがユダヤ人に開放した町。 99キロの雨のサイクリング。 宿は観光馬車の騎手のお勧め。 「部屋あります」の民宿、広い部屋、バスタブ、シャワー、洗濯機までついたトイレ、これで一人1500円。 宿が決まった後BARでズブロッカ入りのビールで乾杯。 そのBARで夕食場所を聞く。 |
23日に泊まったホテル、1500円にしては快適だった。 |
水害で使えなくなった物 |
ヴィスワ川 |
ポーランドにもコウノトリ。 |
水がここまで来た、流された椅子が木に引っかかっている。 |
まだ水が引いていない。 |
カジミエージュのヴィスワ川 |
カジミエージュのヴィスワ川 |
カジミエージュのヴィスワ川 |
ひとまず乾杯。 |
美人と仲良し舘さん。 |
美人と仲良し舘さん。 |
町の風景 |
町の風景 |
美人に紹介されたレストラン |
宿のオーナーと指差し会話。 |
25日の報告その1 |
ワルシャワまで140キロを2日で走ればいいので7時半に出発。今にも雨が降りそうだった。 蚊が多く餌食になってしまう。 途中渡し舟の看板があったので乗ってみようと行ってみたら洪水のせいか休業中。 40キロ走って朝食にレストランを探したがなく、店による。 パン、ヨーグルト、ジュース、ハムを4枚スライスしてもらって朝食に。これで一人分、150円。おいしかった。 コジニースに昼到着。あと今日の目的地ワリッカまで2、30キロなので大休止。 朝食が10時ころだったのでお腹もすいてなくホテルのレストランでスープと紅茶にした。昼だと言うのに客は一組だけ。 食後ワリッカに向けて出発したが舘さんのGPSが狂い着いたところはラドム。 (前田注:GPSが狂ったのか、Routableの地図が悪かったのか。舘さんRoutableの地図が問題と指摘しているが、地図を提供した前田としてはやや意見を異にする。写真の下に添付した地図と解説参照) 70キロの予定のサイクリングが100キロオーバー。でもどこまでいても平ら。麦畑だけ。 ラドムは大きな町。ホテルがあまりなくやっと見つかった。二人で4000円。なかなかいいホテル。インターネットも快適に部屋で出来る。 |
渡し舟乗船場、渡し舟が無い、流されちゃったのか。 |
自転車と書いた看板。昨日同じ看板があり覗いたら宿泊できるとのこと。 |
ポーランドのコウノトリ。電信柱に巣を作れるように枠組がついていた。この電信柱は現在は使われていないもの。 |
ヴィスワ川を渡る。 |
コジニースの教会 |
コジニースの教会 |
ラドムの教会 |
赤のルートが実走行Track、青は出発地から到着地RadomまでのRoutable地図でのルート。 実走行ルートは明らかに長いルートになっている。 なぜ、こんな遠回りをすることになってしまったのか。 原因の一つは、Routable地図にはバグがあり、交差点が地図の線では交叉しているのに地図データとして交叉してないことがある。フリーの地図である以上我慢しなければことであろう。 もう一つはGPSの設定ミス?であろう。しかし、素人でもない人がどんな設定ミスをしたのか?推測するのは難しい。 しかし、そうだからと云って全てをRoutableマップの責任にするのはやや一方的であろう。 Routableマップは一度使えばやめられない優れた機能を持っている。このバグだけでRoutableを使わないと云うのは小生には理解できない。パソコンで事前に全体ルートをチェックするなり、GPSで全体ルートをチェックしてうまく使いこなせばよいのである。 走行前に、GPSで全体ルートを事前にチェックするのは当然の行為であると思う。 |
6月25日の報告その2 |
ポーランドは寒いです。 セビリアが毎日30度以上で暑さに弱い吉川くんは余儀なくリタイアしました。 持ってきた衣類をこんなに暑いのではと史朗君に半分以上持って帰って貰ったのですが。昨日今日と20度以下、持っているもの全てを着ています。でもサイクリングには好適。 昨日は雨でしたが、今日は降られず。 4日で400キロ以上サイクリングしてます。 クラフクは世界遺産で観光地になっているので言葉では苦労してませんがサイクリングが始まってからほとんど英語が通ぜずボデーランゲージです。物価もクラクフの半値以下になりました。 天気予報では明日からは晴れ、23度くらいになるようです。 ラドムからワルシャワまでサイクリングできる道がないようなので電車で自転車ごとビールを飲みながら、行くことにしました。 これもしたかっかたことなので。ワルシャワの市内は自転車はどうかと思っていたし。 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ラドムの19時ころの景色 |
ポーランドにはワインが無く頼んだらブルガリアワインだった。 |
ポーランド餃子。醤油とラー油があれば更に美味しい。 |
豚肉の腿肉の焼いた料理 |
ボルシチュを頼んだらグラスに入った赤ワインのようなスープが出てきた。美味しかったがこれがボルシチュ |
夕食を採ったカフェ |
会計お願いしますと言ったら宝箱にレシートが入って運ばれて来た。 お金を入れ渡すとお釣りが宝箱に入れ戻って来た。 |
6月26日の報告 |
ラドムからワルシャワに適当な道が無く疲れてワルシャワに自転車で入るのは危ないので一度体験したかった電車の旅にした。 1時10分初の電車に乗ることにし午前中はポタリング。 いろいろ歴史建造物があるが英語の説明も無くちんぷんかんぷん。 ビールとスープとサラダで昼食。 ビールのお陰で寝てしまいワルシャワに着いた。 電車賃は21.1ズル自転車持ち込み料が9ズル(合計1000円弱) 2時間ぐらい、100キロ程度だと思う。 ワルシャワの今日の宿はYH。 舘さんが自炊するとのことでこれから買出し。 |
切符を買う舘さん。まったく英語が通じない。後ろの荒い洋服(赤い服?お疲れですね)の女性が助けてくれる。 |
ラドムの風景 |
ラドムの風景 |
ラドムの風景 |
ラドムの風景 |
ラドムの風景 |
ラドムの歴史建造物のマーク |
ラドムの風景 |
泊まったホテル、こじんまりしたいい宿だった。 |
乗った列車 |
二階建ての列車。電気機関車が引く。 |
列車の中 |
ワルシャワ中央駅 |
ワルシャワ中央駅 |
駅前のソ連からの贈り物の建物 |
6月27日の報告 |
昨夜は舘さんの手作りの料理の予定でしたが材料を売っている店が見つからず。 「オリジン弁当」のワルシャワ版の店でサラダ2種とポテトのゆでたのと茄子の肉詰めを買い酒屋でビールとインスタントスープを買って夕食にしました。なかなかの味でした。 今日は朝散歩し10時ごろに今日お世話になるホストを尋ねその後自転車で市内観光しました。 |
ワルシャワの駅のそば、立地条件最高のお世話になったYHの去年の国別宿泊人数と宿泊延べ日数の統計。 ドイツ263人475日、フランス177人461日、日本122人176日 がダントツ。 |
旧ポーランド統一労働者党本部、現証券取引所 |
旧ポーランド統一労働者党本部、現証券取引所 |
旧ポーランド統一労働者党本部、現証券取引所 |
旧ポーランド統一労働者党本部、現証券取引所 |
旧ポーランド統一労働者党本部、現証券取引所 |
中央駅に行く道 |
中央駅に行く道 |
新世界通りにあるコペルニックスの像 |
200年前の聖十字架教会の写真 |
現在の聖十字架教会 |
現在の聖十字架教会 |
ビスワ川 |
ホストの家の近くの町並み |
ホストのジョアンナさん |
ジョアンナさんの家、妹さん。これから日曜なので教会に |
王宮公園のショパンの像での日曜コンサート |
王宮公園のショパンの像での日曜コンサート |
王宮公園のショパンの像での日曜コンサート |
王宮公園のショパンの像での日曜コンサート |
王宮公園のショパンの像での日曜コンサート |
王宮公園のショパンの像での日曜コンサート |
新世界通りで弦楽四重奏。 |
ビールを飲みながら鑑賞 |
大統領府の前で事故で死んだ前大統領の追悼 |
大統領府の前で事故で死んだ前大統領の追悼 |
大統領府 |
事故の写真 |
棺 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街で昼食、いずれもアスパラガスのサラダ。 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
旧市街の風景 |
ビスワ川で楽しむ市民。自転車が多かった。 |
ビスワ川で楽しむ市民。自転車が多かった。 |
ジョアンナさん宅での夕食。これは卵とえんどう豆とチーズのサラダ。 |
その他野菜、チーズ各種、ハム類、など |
多分鰊をお酢とチーズに漬け込んだもの。美味 |
次女と長男。長女はイタリアに5週間ボランティアで昨日出かけたとのこと。彼女の部屋を借りている。 |
ファミリーと写真 |
ファミリーと写真 |
6月28日の報告 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポーランドに来てからあまり天気が良くありませんでしたが昨日から快晴です。でも朝は寒くはんずぼんでは寒いので昨日自転車用の7分丈のズボンを買いました。 タイツ、長靴下を探したんですが季節でないと言われました。 今日はまたまた市内のポタリング。 ポーランドがナチに対して蜂起した史跡とポーランドのユダヤ人がゲットーに送られた史跡を探しました。 苦労した挙句、執念で見つけ、舘さんは満足。 今日は別のホスト、カジヤさんのお宅にお世話になりました。 先客でメキシコの夫婦がいて大変にぎやかな晩でした。二晩お世話になる予定でしたがホストの都合で今晩だけになり明日朝ワルシャワを立つ予定にしました。
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ポーランド蜂起博物館の屋上からの景色。 |
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ポーランド蜂起博物館の屋上からの景色。 |
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ポーランド蜂起博物館の屋上からの景色。 |
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ポーランド蜂起博物館の屋上からの景色。 |
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ポーランド蜂起博物館の屋上からの景色。 |
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博物館の入り口 |
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ホストのカジヤご夫妻。 |
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3歳のお嬢さん |
6月29日の報告 |
お世話になったカジヤさん宅を7時前に出発。 戦場のピアニストのお墓によりプオックに向かう。 20キロほど危ない道だったが国道575号に入ったら車も少なく快適なサイクリング。 朝飯まえに45キロ、昼食に85キロ走る。 途中「R2自転車マーク)が有ったのでサイクリングコースのようだ。でも店もほとんど無い。 目的地プオックに128キロで到着、3時前。 ホテルをより前にテントでビール。 インホメーションでホテルを訪ねたらその建物にホテルがありそこに泊まる。 |
カジヤさん宅の先客のメキシコの夫妻。23歳と21歳。 |
カジヤさん宅の先客のメキシコの夫妻。23歳と21歳。 |
カジヤファミリーと。 |
メキシコ夫妻は6時25分にさよなら。 |
カジヤさんのマンション。凄く豪華。 |
戦場のピアニストのシュピルマンの墓 |
一般的なお墓。前のボトルはロウソク |
霊園の入り口、中心地から5キロほど。 |
コウノトリ |
ヴィスワ川の支流 |
昼飯スタイル |
プオックの風景。泊まったホテルの前広場 |
寝室 |
居間 |
キッチン |
浴室、朝食付きで2000円ちょっと。 |
ホテルの外観 |
夕食のスープ、パスタとピザ |
ホテルの外観 |
ホテルの中庭 |
6月30日の報告 |
プオックから幹線沿いの路肩サイクリング。 変化が何も無く車に注意の気疲れの110キロ。 |
プオックのホテルからにヴィスワ川 |
ホテルそばの河畔からの景色。下流に向かって右岸の町が高いので橋に勾配がある。 |
ホテルそばの河畔からの景色。下流に向かって右岸の町が高いので橋に勾配がある。 |
堰があり川幅が広い。 |
キノコ売り |
舘さんがマスのソテーを頼んだら出てきたのはこれ。返却。 |
キノコのオムレツ。おいしかった。 |
トランの景色 |
トランの景色 |
泊まったホテル、二人で5000円弱。絵画だらけ。 |
トランの風景。 |
トランの風景。 |
ヴィスワ川に浮かぶレストラン、と思って夕食に訪れたら食べ物はスナックしかなかった。 |
夕方雨が降り虹が出た。 |
夕方雨が降り虹が出た。 |
渡し舟の看板。明日、乗ろうと思ったが10時からなのでやめた。 |
トランの風景 |
トランの風景 |
トランの風景 |
何故かこの町のビールはチェコ、ピルゼンのピルスナー。 |
若者が食べていたのをオーダー。クレープで肉、野菜、チーズを包んだもの。ポーランド料理だと。おいしく安かった。 |
トランの風景 |
トランの風景 |
トランの風景 |
トランの風景 |
コペルニックスはこの町の人。 |
コペルニックスはこの町の人。 |
コペルニックスの像の下の二人。 |
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7月1日の報告 |
一昨日、昨日ととっても暑く熱射病にならないようパソコンを背中に背負って走っていたんですが今日は荷台に。 でも今日はそれほど暑くなくルートもバイクルートで街路樹があり暑さには悩まされんでした。 が舗装がいまいちのところが多くお尻の痛さでサイクリング終了。 計画ではグルジョンツまでだったんですが明日のグダンスクまでを楽にしようと先に行きました。ノエは20キロ先の町です。 1号線沿いにホテルにしました。 一度街道沿いのホテルに泊まりたかった。 部屋も大きく一人1800円ぐらいです。 インターネットも快適。 |
ビスワ川の橋から見たグルジョンツの町 |
バイクルートの表示 |
バイクルートを舘さんが走る。 |
街道ホテルの部屋 |
そのレストラン |
キノコスープ |
ワインを取る。ドライのロゼ。2003年もの |
メインはメンチカツと豚カツを頼みシェアー |
付け合せに出てきたカリフラワーと白飯 |
昼食に食べたザビエンカンキ。トーストしたパンにコールスローが乗っている。とっても美味しい。 |
何処製のワインか |
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7月2日の報告 |
午後になると暑いので朝早く6時に出発した。 が大層な霧、眼鏡が曇ってしまう。しばらくし、太陽が昇ると霧も晴れた。 25キロ走ったグニューのバーで朝食。ザビエンカンキと紅茶。 昨日のものとは大分違う。パンピザのよう。 丁度12時頃にグダンスクに着いた。87キロのサイクリングだった。 グダンスクは人気の観光地で観光客で溢れ返っている。インフォメーションで教えてもらったホステルに泊まる。 一部屋13人、男女一緒。寝れるか? |
街道の駐車場ににあったバーでの朝食。 |
町の様子。 |
町の様子。 |
町の様子。 |
町の様子。 |
琥珀が名産らしく、売る店が多い。 |
琥珀が名産らしく、売る店が多い。 |
琥珀が名産らしく、売る店が多い。 |
町の様子 |
町の様子 |
町の様子 |
町の様子 |
7月3日の報告 |
7月3日の報告です。 今日は休養日。 朝食は昨夜見つけた綺麗なパン屋さんで。 その後聖マリア教会の塔当に登りグダンスクの町並みを眺めた。400段の階段は疲れた。 その後ワレサさんが勤めていたグダンスク造船所「自由への道」博物館を見学。 ポーランドの自由獲得運動がその後中央、東ヨーロッパに伝播して行った 歴史の展示。 最後はチベットも独立すると。 ソノアトストックフォルム行きのフェリーを見海水浴場で昼飯を食べた。 今日は自炊をするぞと舘さんが立ち上がった。 ようやく写真到着。 |
舘さんの料理姿。手伝おうとしたが断られた。後片付けまで全てお任せっきり。 |
舘さんの料理姿。手伝おうとしたが断られた。後片付けまで全てお任せっきり。 |
前菜。茹でソラマメと鰊の酢漬け。 |
メイノのスープカレイ。キノコ、ソラマメ、人参、ジャガイモ、たまねぎ、豚肉。本格的な料理法でびっくり。二人でこの量を食べてしまった。写真を撮り忘れたが南アフリカのワインが美味しさを倍増した。すごいね舘さん。 |
パンやでザビエンカンカを選ぶとオーブンで焼いてくれる。 |
いろいろのパンがある。 |
このコーナーではサラダ、飲み物が選べる。 |
すっかりザビエンカンカのとりこになった舘さん。あと生ジュースと紅茶。店先での朝食の5倍ほどした。 |
聖マリア教会。 |
聖マリア教会。 |
聖マリア教会。 |
聖マリア教会。 |
聖マリア教会。 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
聖マリア教会の塔からの展望 |
昔使われていた船の積荷ようの木製のクレーン。 |
下から聖マリア教会の塔の展望台が見える。 |
自由獲得運動で殺された造船所の労働者の慰霊碑。 |
自由獲得運動で殺された造船所の労働者の慰霊碑。 |
自由獲得運動で殺された造船所の労働者の慰霊碑。 |
各国から寄せられた慰霊のプレートの中に日本から。国鉄労組だと思える。 |
自由運動と戦った軍の装甲車。博物館前に展示。 |
連帯の運動がその後の中央、東ヨーロッパにドミノ倒しのように伝播したとの表示。 |
いずれチベットも独立へ |
いずれチベットも独立へ |
グダンスク造船所の守衛 |
グダンスク造船所の正門 |
ストックフォルムから到着したフェリー。 |
港のそばの海水浴場。土曜日で大変な混みよう。 |
港のそばの海水浴場。土曜日で大変な混みよう。 |
海水浴場前のバーで昼食。舘さんはザビエンカンキ症候群。2つも食べた。明日も続きそう。 |
7月4日の報告 |
グダンスクの沖に地図で見ると楊枝のように突き出た半島があります。30キロぐらい突き出ていて国立公園になっていてとてもいいとこだとワルシャワでお世話になったジョアンナさんが言っており、今年の8月に家族全員でサイクリングを楽しむ予定にしているとのこと。 グダンスクから往復は距離が長く1日では無理なのでフェリーで半島の突先の町ヘルに渡りベルリンへのサイクリングを開始することになった。 8時前にフェリーの切符売り場に着いたが満員で8時30分のフェリーには乗れず。日曜日、海水浴日和だもの。自転車を持ち込む人も多数。 1時10分のフェリーを予約してそれまで時間をつぶす。 フェリー500円、自転車100円ほど、2時間ほどの船旅。 着いたヘルの町は夏の江ノ島にも負けないにぎやかさ。到底泊まれそうもないので半島の真ん中へんの町ジャスタニアまでサイクリング。 インフォメーションが見つかり宿を紹介してもらう。 海水浴目当てのゲストハウスを一人1200円で紹介してくれた。 トイレは共用だが大きな部屋。ホステルより安く快適。 |
フェリーを待つ客 |
自転車でヘルに行く客 |
フェリーは満員で出て行く |
海上に浮かぶホステル |
対岸から見た木製クレーン |
グダンスク造船所 |
グダンスク造船所 |
半島 |
ヘルの海水浴客 |
ヘルの海水浴客 |
何故かこの細い半島に鉄道が通っている。 |
泊まったゲストハウス |
夕食のレストラン |
鮭のスープ。身がゴロゴロ。 |
魚のソテーにほうれん草をいためたのがたっぷり |
魚をベーコンで巻いてソテー。 |
波止場でうちにのみに飲みに来て |
波止場でサイクリストと |
7月5日の報告 |
トイレに紙が無く全く言葉もジェスチャーも通じず他のトイレから舘さんが紙を調達。 外国人が立入りそうな所には英語がちょっと出来る人がいる。 朝7時に宿を立ちポーランドで一番北のジャスターゼビアゴーラに向かう。 半島の20キロは快適なサイクリングロードだったが最後の7キロは石畳、参った。 ジャスターゼビアゴーラに10時到着。 舘さんはバルト海で泳がなくっちゃと海水浴。 昼飯はまたザビエンカンカ。 明日のことも考えもう少しサイクリング。 ヴィルツクッチーノという田舎のハリウッドというディスコの2階のホテルに泊まることにした。 バストイレつきで1200円。昨日のゲストハウスと同じ料金だがこっちのがはるかに快適。 でも晩飯が心配。何も無い町なので。 |
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半島のサイクリングロード。 |
半島のサイクリングロード。 |
半島の付け根にあったホテル。炒飯が食べたい。 |
ジャスターゼビアゴーラの海岸。 |
ジャスターゼビアゴーラの海岸。 |
ジャスターゼビアゴーラの海岸。 |
今日のホテル |
今日のホテル |
今日のホテル |
今日のホテル |
ソーセージのスープ。期待してなかったが馬鹿旨。 |
メインはケバブ。サラダがたっぷり。 |
満足そうにケバブを食べる舘さん |
ホテルの看板。POKOJEというのが部屋貸しますの意味で泊まれる。 |
7月6日の報告 |
朝6時に出発しようとしたら雨が降り出す。しばらくぶりの雨。小止みになるのを待って出発。 20キロぐらい行ったところでレストラン「エデン」で朝食。朝8時前だと言うのに朝食を作ってくれた。 かなり本降りになってきたので完全武装に切り替える。雨も嫌だが車のしぶきが凄い。 82キロ雨の中を走って昼過ぎにスウプクスの町に着いた。昼食を済ませた頃には雨もあがっていた。雨で写真が撮れなかった。 |
泊まったホテル。安くっていい宿だった。 |
スウプクスの町並み。 |
7月7日の報告 |
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朝5時に起きると快晴。これは良いぞと6時に出発。 ところが風が強い、横風、たまに向かい風。風を感じたのはポーランドで初めて。 前の日に買っておいた朝飯を5時半ごろに食べたので腹がすき11時半ごろにレストランに入り大休止。 大休止後の30キロ、まともの向かい風。元々風の強い所のようで風車が一杯ある。追い風なら楽しいだろうなと思いながら重いペダルを踏み無事ゴールに到着。110キロのサイクリング。 観光客でにぎわってる。 |
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ジャガイモ畑。花が紫。 |
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これはなんだ。 |
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昼食の赤カブのスープ。ちょっと酸っぱい。 |
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パンを入れるとこうなる。 |
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小麦畑に風車が一杯。 |
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風車は畑からニョキッと出てる。柵も無い。
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7月8日の報告 |
今日は風も無く全くのサイクリング日和。 6時に出発、ホテルの前に食料品店がすでに開いており朝食を調達。 10 キロぐらいいい道が続いたがその後10キロは5メートルおきに溝のある舗装。 今日は海岸線のサイクリングで楽しみにしていたが海水浴客は見るが海岸は見えなかった。 50キロのところのキャンプ場でイギリスから来たキャンパーサイクリストの夫婦に会う。 今日はサイクリストに良く会う。夫婦でサイクリングも多い。国境に近いからかな。 キャンプ場の車もドイツ、ノールウエイ、オランダなど。 70キロの湖畔で魚を売る店を見つける。全品燻製のようだが店員は全く英語がわからず。お客の助けを借りて燻製でそのまま食べれることが 判り鮭の燻製を買う。 20メートル位離れたところに燻製、サラダ、飲み物を売り店の横で食べれる店がありサラダと飲み物を買い速い昼食にした。この鮭のうまさ。絶品である。サラダも燻製にあう。 90キロのところの国立公園で野生のバッファローが見れると言うので行って見たら保護区付属の動物園だった。 国境の町シフィノウィシュチャーの中心部はこちらと言う案内がありいくら進んでも町にならない。 着いたところはフェリー乗り場。橋が無く無料のフェリーで渡る 。 更に7キロのサイクリングでやっと町。今日も120キロ近くのサイクリングだった。 |
キャンプ場で会ったキャンパーサイクリストの老夫婦。 |
魚屋で |
魚屋の前の通り |
サラダと鮭の燻製400グラムぐらい |
食事してるとき海賊船が。 |
動物園の入り口。バッファロー、鹿、鷹、猪しか居ない。猪は見つからなかった。 |
バッファロー |
鷹 |
無料のフェリー |
7月9日の報告 |
スタティンに行くには国道3号線で行くしかなく嫌だなーと思っていたところなんと高速船があるというのでそれで行く事にした。 泊まったホテルは朝食付きで二人で1万円。今までの最高の2倍の高さ。 朝食の豪華さはブルガリアからの旅で最高。写真機を忘れたのが悔やまれる。 自転車で速く出る予定だったので弁当を作ってくれることになっていたが 10時30分の船に切り替えたので、朝食が採れた。 高速船はスタティンまで1時間15分で着いてしまう。63キロ程度である。自転車だと100キロ以上になる。 スタティンで下船すると凄い暑さ、今年一だったそうだ。サイクリングにしなくってよかった。 スタティンのインフォメーションで自転車屋を教えてもらった。今まで見たことも無い大きな自転車屋さん。 ウエアー売り場でポーランドらしいジャージは無いか探したがない。店員に聞たら赤と白混ざったジャージを持ってきて赤と白はポーランドの印だと勧められた。 今日の宿はホストのコトウォスカさん宅で7時にお待ちしてますとのことであるが時間を持て余してしまった。何しろ暑い、石畳が多い、坂が多い。 ポタリングする気にならない。 昼食に2時間、ショッピングセンターの外のベンチで3時間をつぶす。 6時50分ごろに着くと「いらっしゃい」御主人が迎えくれた。その後奥様が日本語で「さようなら」と顔を見せる。爆笑。 奥様は語学の塾を経営して日本語に興味をもっている。食事の後、車で買い物、現在の塾の教室、近隣の町の様子などを案内してくれた。 帰宅後、アイスクリーム、チェリーブランディを飲みながら11時過ぎまで歓談。 明日は土曜日、色々案内してくれるようだ。 |
シフィノウィスチャーの港。この船は海水浴に連れて行く。 |
自転車3台、ポーランドの自転車は大きい。 |
高速船、時速60キロで走る。 |
スタティンの港に停泊してたフランスの豪華観光船。 |
スタティンの港に停泊してたフランスの豪華観光船。 |
スタティンの港に停泊してたフランスの豪華観光船。 |
町並み |
巨大な自転車屋の内部 |
巨大な自転車屋の内部 |
ご馳走になった赤カブの冷製スープ。 |
白いんげんを茹でパン粉とオリーブ油で和えたもの。 |
ギリシャ風サラダ。それとゆでたジャガイモが夕食だった。 |
7月10日の報告 |
昨夜ホストのコトウォスカさんが明日の予定はあるのかと聞かれ「特に無い」と答えたら近隣案内の途中で会ったヤレック夫妻が午前中ならスタティン市内を案内したいとのことでお願いした。大変日本に興味があるとのこと。 観光後コトウォスカさんが湖で湖水浴をするのでそれに合流することになった。 夕食は舘さんが腕を振るうことに昨夜なっており材料の買い物も済んでいる。 2時ごろ湖畔のコッテージに到着するとバーべキューの用意が出来ており楽しんだ。 その後湖水浴などを楽しんだがなんと引き上げたのが7時、車で帰って夕食の仕度を始めたのが8時夕食が終わったのは午前様でした。 丁度ワールドカップでドイツ対ウルガイ戦があった。ドイツを応援すると思っていたがウルガイだった。ドイツには酷い目に会わされたからとのこと。 ウルガイが勝ってしばらくご主人の機嫌が悪かった。 |
コトウォスカさんの家。昔一階を教室に使っていた。そこをお借りした。 |
朝食。ヨーグルトにブルーベリー、レッドガーラント、シリアルなどをまぜ 食べている。食べすぎにはとても注意している様子。 |
ヤレック夫妻。ご主人はHP、ご夫人は判事。ビックリ。入場料、ビールなど ご馳走になり、お陰で観光出来たと感謝された。 |
長女 |
この造船所から自由化運動はスタティンから始まりグダンスクで本格化した。 |
県庁舎 |
県庁舎 |
海洋大学 |
自由化運動で犠牲になった人の慰霊碑。 |
自由化運動で犠牲になった人の慰霊碑。 |
最も古い教会、名残りで天井は板張り。 |
新王宮で農業祭りをやっていた。 |
新王宮で農業祭りをやっていた。 |
新王宮で農業祭りをやっていた。 |
新王宮で農業祭りをやっていた。 |
新王宮で農業祭りをやっていた。 |
新王宮で農業祭りをやっていた。 |
新王宮の時計台 |
新王宮の中にあるバイキングの博物館の展示 |
新王宮の中にあるバイキングの博物館の展示 |
新教会 |
新教会 |
アウシュビッツの慰霊 |
パイプオルガンのパイプが突き出ている。 |
新教会の塔からの眺め、エレベーターで上がれる。 |
新教会の塔からの眺め、エレベーターで上がれる。 |
湖のコッテージ |
バーベキュウ |
コッテージから湖の眺め |
湖からコッテージの眺め |
バーベキュウを食べながらの歓談 |
バーベキュウを食べながらの歓談 |
舘さんの立ち泳ぎ |
英語の先生 |
ホストと英語の先生の息子さん |
湖水浴 |
湖水浴 |
舘コックと助手 |
舘コックと助手 |
箸の使い方の練習 |
きゅうりの酢味噌和え、梅紫蘇和え、カレースープ、ごはんがメニュー。乾杯 |
きゅうりの酢味噌和え、梅紫蘇和え、カレースープ、ごはんがメニュー。乾杯 |
喜ばれて舘さんもご満悦 |
7月11日の報告 |
朝食が9時と言われたが昨夜の後片付けが始まったのが9時。 色々会話があり出発が出来たのは10時半近く。 既に酷暑。今年は異常気象だそうだ。 22キロ過ぎた地点のガソリンスタンドで一休み。残っていた小銭を使い果たした。 そこから2キロで国境だった。印があるだけ。係官も居ない。 そこから5キロほどの小さな町。町に入ると小径車が苦手な石畳。 もたもたしていたら舘さんを見失った。今日は2号線を道なりで出発が遅かったので舘さんは急いでいるのかなと急いだが追いつかない。 変だなと思ったのが50キロ地点。小さな町からここまで何も無い。 かんかん照りで日陰もない。どこかで舘さんは休んでいるはずだ。もしかしたら小さな町に史跡があったのでそれを見学している間先に来てしまったのかも知れないと橋の下の日陰で待ったが来ない。 とにかく暑い、腹が減るそれから13キロ進む。ちょっと体に異常が感じられ次の町で止めることにした。舘さんとも今日は出発が遅かったので目的地以前で適当なところで止めようと話していたのでアンゲルミュンドという町で待ってるのではないかと無理をせずに街道をはずれ町の中央に行ったが舘さんはいない。 こんなことを想定して海外で使える携帯を持っていったが圏外。 腹も減って喉もからからなので中央広場のレストランらしきものの傘の下に入ってビールを頼みメニューを見たらスイーツの店。 ビールだけそれがビックリ5ユーロ近い。ポーランドの4倍だ。 5時を過ぎどうも迷子になったのは確実なようなので宿の確保を先ずしなければとペンションに行ったが満室、次にホテルに行ったがここも満室、あそこのホテルなら開いてるかもと教えられたホテルで泊まれた。ビジネスホテルのようだ。先払いでなく値段もきかず大きなツインの部屋だった。 兎に角舘さんに連絡取らなければとインターネットをやろうとしたが通信会社が提供するHotSpotでログイン情報をカードで買わなくてはならない。説明がドイツ語でインターネット用語が入っているのでレセプションでも相談にならなく諦め。 この時点で舘さんは目的の継ぎの町に行っていると確信してた。 舘さんは小さな町でレストランに入り昼食でもと思ったのを見落としてしまったようだ。石畳は周りの景色を見てられない。 いつまでたっても来ないので警察に連絡し大捜査をしてくれていた。 |
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国境の事務所跡 |
600 ポーランドの出口のポール。 |
ドイツの入り口のポール |
ここからドイツの看板 |
泊まったホテル、客はほとんどいず。 |
7月12日の報告 |
朝マップソースにある世界地図でベルリンを見た。 入り口までは2号線をたどれば行けそうだが、何処に行けばいいのか。 中央駅が目印だが地図には出てない。 そうだ列車で先回りしよう、ベルリンに着けば携帯も使えるはずだ。 今日も暑いのに昨日のようなないない尽くしの道のサイクリングは面白くないし更に問題を深くする。 先に中央駅に着き電話するのがベスト。レセプションにはドイツ語しか理解しない人しか居なく電車情報は得られなかった。 食堂で朝食が6時半から出来ると言われてたので覗いてみると用意があった、朝食付きのようだ。 65ユーロだった。駅に行ったが時刻表がない、いろいろな会社が線路を共同使用してるらしい。出札口で聞いたら8時32分発の電車があるとのこと。電車賃9.10ユーロ、自転車代2.80ユーロだった。 ワルシャワに行くのに電車に乗ったが線路が悪いのか凄くゆれたがドイツの電車は滑るように120キロのスピードで走った。 ベルリンが先頭に付く駅が出てき辞書を引きながら降りる駅を探したがひとつ乗り越してしまった。 自転車でもどればいいと外に出たが中央駅にはどう行ったらいいのやら。日本大使館があるではないか、入り口に行ったが日本語をしゃべれる人はいないと断られる。 中央駅はどっちだと訪ねたがあっちだとしか教えてくれなかった。その方向に行くとブランデングブルグ門にぶつかりすぐそばにホロコーストの大きなモニュメントの広場があり観光客で大変にぎわっていた。舘さんはここに絶対寄るはずだとお土産屋の外にあるいすに腰掛け地図を買い調査をしながら時々電話したが繋がらない。 3時間も居たが居眠りが出て店員から注意され居づらくなり地図に出ていたベルリンの壁に移動したここでも1時間ぐらい時間を潰したが宿が心配になり地図に出ていたYHに行き宿を確保。インターネットでメールを調べたら舘さんからメールが2通来ており読んでビックリ。 返事を出しもう宿に着いてる筈だと電話したらやっと繋がった。迷子はこれで解消。朝から何も食べてない。食欲が出てきた。 |
駅のプラットホーム |
ブランデングブルグ門 |
ベルリンの壁ツアーの開始点 |
ベルリンの壁ツアーの開始点 |
7月13日の報告 |
舘さんに会えるまでの暇つぶしに。 誰かに付いて行くだけの放浪学部初等科の吉川くんに中等学部進級のための中間テストが今回の迷子事件だったのか。 ホテルを探し泊まる、電車に乗る、地図を見て行きたい所にに行く、YHに泊まる。今まで誰かがやってくれてたのに付いて行くだけ。自分で出来るとも思ってなかった。でも付いていくほうが気楽でいい。 ベルリンのYHは巨大である。学校の旅行にも使われているようだ。 ドーミトリーに泊まっている、男女共用である。部屋にバスが二つとトイレが一つ付いている。 キッチンは無いが巨大な食堂があり朝食付である。若い人は朝食時、昼のお弁当を作ってる。夕食は6ユーロで食べれる。庭を含め共同スペースも十分、バーもある。町の中心街に面しており、バスも止まれる駐車場もある。一泊18ユーロ。 ドイツは飲み物の容器に0.30ユーロのデポジット料金が加算される。店に空の容器を持っていくと0.30ユーロ返してくれる。このため容器を捨てなく、片付け、ゴミ箱も要らなくなる。さらにリサイクルは進む。 ポーランドはほとんど無線LANが無料で利用出来たがドイツは通信会社の事業として普及してるようだ。一昨日泊まったホテルでは1時間8ユーロ、10日で28ユーロのメニューであった。ドイツ語の使用説明で申し込めなかったが。 YHは自動販売機でIDとパスワードを買う形式。20分で1ユーロ、メールの受信と送信ぐらいしか出来ないスピード。 舘さんから電話がかかって来た。ブランデンブルグ門に到着したとのこと。 ホ! |
7月13日と14日の報告 |
13日10時前、舘さんから電話。 ブランデンブルグ門に居るので来いとのこと。や・・・・一安心である。 なんと5時に出発しここまで走ってきたとのこと。 電車では今回の旅の締めくくりにはならないから。早朝の60キロのサイクリングと目的達成と迷子に会えて本当においしそうに朝からビールを飲んでいた。 再会を喜びこれからの予定を確認。 舘さんが元東ベルリンのホスト宅を2泊予約し居ることなのでYHをキャンセルしてベルリン市内を自転車で観光した。 ホスト宅には8時にと言う約束だったがメールが2度入り9時30分に会えた。 4ベットルームの超豪華なマンションに一人住まいのホスト。適当に使ってくれと鍵を渡される。 ホストは朝7時半出勤。キッチンに有るもので勝手に朝食。9時ごろ観光に出かける。東ドイツの生活ぶりを紹介する博物館と川から市内を観光する船に乗る。 ホストは腹をすかせて帰ってくるのではないかと。ツナサラダと肉じゃがを舘コックが腕をふるったがホストの帰宅予定は11時とのこと。 |
YHの中庭から。 |
YHの中庭から。 |
YHの中庭から。 |
YHの中庭から。 |
YHの正面から。 |
ベルリンの壁 |
ベルリンの壁 |
壁を乗り越え射殺された人。 |
壁に書かれた絵 |
14日の写真 ベルリン風景 |
ベルリン風景 |
ベルリン風景 |
ベルリン風景 |
ベルリン風景 |
ベルリン風景 |
ベルリン風景 |
ツナサラダ |
肉じゃが |
7月15日の報告 |
暑い日が続いてます。夜九時でも残暑が厳しい。でも朝4時ごろは毛布がないと寒い。太陽の力を強烈に感じます。 アクシデントに備えて予備日がとってあったんですが迷子で一日使っただけで一週間余ってしまいました。 そこでベルリンからハノーバーまでサイクリングすることにしました。ハノーバーからフランクフルトは列車です。フランクフルト20日の飛行機で帰ります。 今日は第二次世界大戦の終戦のきっかけになったポツダム会談のポツダム経由ブランデンブルグまでサイクリングしました。 あつさが続いているのであさ5時に出発しました。午前中は雲もあり快適なサイクリングでお昼には目的地のブランデンブルグに80キロで到着しました。 午後はかんかんでり、朝走ったのが正解でした。夕食を食べたレストランのママに聞いた話では53年ぶりの暑さだそうです。直射日光を浴びると日本では味わえない暑さですが日景に入るとなんと涼しいんです。 明日も午前中だけのサイクリング。 昼食はビールです。 |
ポツダム手前の博物館、イギリス、フランス、アメリカが関係した記念の保存物のようだ。 |
ポツダム手前の博物館、イギリス、フランス、アメリカが関係した記念の保存物のようだ。 |
ベルリンとポツダムの間の湖、端の袂から。 |
ポツダム会談がが行われた場所。世界遺産。 |
ポツダム会談がが行われた場所。世界遺産。 |
ポツダム会談がが行われた場所。世界遺産。 |
列車の通過で」5分待たされまた迷子。でも目的地なので。 |
ブランデンブルグの二人。 |
7月16日の報告 |
朝食が6時に出来るとのことで朝食付きにした。 6時前に出発出来る準備をし朝食後すぐ出発。前半は国道沿いに、でも自転車道はほとんど付いてる。 後半はサイクリングお勧めルートを走った。入り口を見つけるのに苦労した。ダートは砂地で自転車には乗れない。時々出てくる。約90キロ昼に目的地に着く。 |
ブランデンブルグのホテル。部屋も寝室、リビング、台所と三部屋。ちゃんとした朝食付。 |
林の中のサイクリングロード。 |
エルベ川をフェリーで渡る。 |
シュッテンダールでの昼食。これが二つも出て来てしまった。ほとんど食べ残し。 |
この町最古のホテルの窓から。前は町の中心の教会。 |
ホテルの玄関。 |
ホテルそばの景色。 |
ホテルそばの景色。 |
ホテルそばの景色。 |
ホテルそばの景色。 |
ベトナム製焼きそばを平らげて満足。 |
ドイツのツインベッド。間が空いてない。 |
7月17日の報告 |
自動車のフォルクスワーゲンの町ボルクスブルグが今日の目的地。 朝6時前に出発し40キロ走った町のパン屋さんで朝食。 国道沿いの自転車道を走るが迷う。案内板が読めれば迷わないのではと思うが。今日は曇りで走りやすい。 旧東、西ドイツの国境の遺跡を見つけ舘さん喜ぶ。 11時ころ目的地10キロくらい手前の小さなスナックで茹でソーセイジとサラダの昼食。 休んでいる間に雨。 運河沿いの古いホテルに泊まる。 フォルクスワーゲンの工場の物資の輸送にこの運河は利用されてるよう。 |
駐輪施設 |
サイクリングロード、この幅。 |
サイクリングロード、この幅。 |
サイクリングロード、この幅。 |
運河 |
運河 |
運河 |
元国境の史跡 |
元国境の史跡 |
元国境の史跡 |
牧草で作った看 |
駅の向こうはVWの工場 |
工場脇の運河 |
工場脇の運河 |
ホテルの飾り、昔ビールを造っていたらしい。 |
ホテルの飾り、昔ビールを造っていたらしい。 |
ホテルの飾り、昔ビールを造っていたらしい。 |
ホテルの飾り、昔ビールを造っていたらしい。 |
7月18日の報告 最終回 |
泊まったホテルの庭にはビールを作るのに利用した道具だらけ。 ハノーバーに行くには運河沿いのサイクリングコースが良いとの勧めで運河沿いでスタートしたが時々施設で遮られ一般道に出なければならない。出たら何処で運河に戻れるかの標識が無い。また町から離れるとサイクリングロードが荒れている。 結局20キロはしたところであきらめ一般道を走る。 今日は日曜日でほとんどの店が休み。 休みのスーパーの入り口で開店しているパン屋を見つけて朝食。 運河から一般道に出たため、ハノーバーへの道に出るのに苦労。 後20キロのところで地元のサイクリストに案内されやっと昼食のレストランが見つかり昼食を採り大休憩。レストランでこの先ハノーバーまで運河沿いのサイクリングロードを勧められる。 町にちかくなったせいか道もちゃんとしておりサイクリストも多い。町に近くなりサイクリングロードは終わる。 町に入ると巨大な公園の中にサイクリングロードが縦横無尽にありビックリ、サイクリストだらけ。サイクリストの多さでは東南アジアは別として知ってる限り一番だ。 中央駅で20日の電車を調べ、ホテルを探す。日曜日でインフォメーションセンターも休み。駅のそばのホテルに泊まる。後で判ったが4星ホテル。 今日でサイクリングは終了。今日は110キロ走った。 |
655 ビールを発酵させる樽を利用したバーベキュウ場 |
1874年から1999年までビールを作ってい |
運河沿いのサイクリングロード |
お祭りのパレードか? |
お祭りのパレードか? |
ハノーバー市内のサイクリングコースの休憩所 |
ハノーバー市内のサイクリングコースの休憩所 |
ハノーバー市内のサイクリングコース。スタジアム、レイク、繁華街などに 行けるコースがあり要所に案内板がある。 |
サイクリングコースから見た中心地。 |