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『トルコ紀行
                                                                 
竹山 文士

著者プロフィール
 1951年生まれ。宮崎県日南市出身。東京都国立市在住。2007年、32年間勤めた出版社を退社。現在はクロスバイクのTREK7.5FXを友に充電中。多摩川サイクリングロードを走り、多摩川の四季折々の美しさを再認識している。


目次


第1章 イスタンブールに乗りこむ

第2章 悠久の古都を見る・語る・食べる

第3章 ついにエフェス遺跡にたたずむ

第4章 病の回復から帰国へ



第1章 イスタンブールに乗りこむ

1.出発まで

 塩野七生の著作にオスマントルコとベネツィアの戦いを描いた戦争三部作がある。『コンスタンチノープルの陥落』『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』(いずれも新潮社)。イスラム対キリストという壮大な宗教と文明間の戦いを描いて、非常に面白かったのだが、牢固とした不満が残った。塩野の筆致は完全にベネツィア(西欧)寄りなのである。この三つの戦いをトルコ側から描いたらどうなるだろうか、と考えていたら、トルコに俄然興味が出てきて、その後、陳舜臣著『世界の都市の物語・イスタンブール』(文藝春秋社)を読んだ。ギリシャ・ローマ時代の基層文化の上にキリスト教、そしてイスラム教の文明が築かれ、同時にアジアとヨーロッパの地理的要衝の地として栄えた都市、イスタンブール(旧コンスタンチノープル)。実に魅力的な街ではないか。これはぜひ行かねばなるまい、と考えるようになった。

 出発は12月4日。イスタンブールには最初4泊し、その後ローマ時代の遺跡エフェスが近隣にあるイズミールに3泊、その後またイスタンブールに2泊という予定である。


2.ホテル・スル

 トルコ航空51便はイスタンブールに向けて定刻に出発。機内は8分くらいの席が埋まっている。シーズンオフなので混雑はしていないが、逆に安いパックツアーの盛んな時期でもある。飛行機が水平飛行に移ると、おとなしくしていたツアーの人たちが歩き回り始める。空席を指して「ここは空いているのけ?」とトルコ人アテンダントに聞いたりしている。東北地方から夫婦連れでツアーに参加している中年の人たちである。

  飛行中映画を2本観た。暗がりで長時間眼を凝らしていたので眼が疲れた。これが旅の後半の暗雲の弾き鉄になろうとはこの時は知る由もない。


 イスタンブールには現地時間の20時着。イスタンブールの宿はホテル・スルというホテルで、インターネットで予約。朝食付き一泊30ユーロ(4800円)。バスタブはなくシャワーのみである。頼んであった迎えの車はボスポラス海峡沿いの道をひた走りに走り、やがて旧市街に入っていく。賑やかな一区画を抜け、坂の上り下がりを繰り返し、次第に暗い下町に降りて行って突き当りに3階建ての古い建物、9部屋のみのホテル・スルがあった。受付は若い女性。名前はゼラ(Zehra)。大学生で専攻は英文学と英語学という。

 部屋は3階にあり、シングルだが結構広い。そしてなんと窓からライトアップされたブルーモスクが見えるではないか。ブルーモスクはトルコで一番有名なイスラム教の寺院で、内壁に美しい青いタイルが張り巡らされていることからこの名がある。見上げると夜空に浮かび上がるようにモスクが聳え、その上空に何羽ものカモメが飛翔している。

  部屋には電話がなく、家人に到着の連絡をするため受付の電話を使わしてもらった。その後、ゼラと話をした。持参したカップ麺を食べるかと聞いたら、食べてみたいというので、お湯を沸かしてもらう。麺をすすりながら、大学ではイギリスの詩人、ジョン・ダンを専攻していること、でもレポートばかりであまり面白くないこと、このホテルはオランダ人の宿泊客が多いことなどを聞く。僕からは日本では麺を食べる時は音を立てる(make noise)のが礼儀だと教えて実演する。彼女もまじめな顔でmake noiseする。ゼラとは宿泊の予約を取るとき、何度かメールのやり取りをしていたので、初対面という感じがしなく、その後滞在中は色々と話もし、お世話にもなった。 深夜、部屋に戻り、焼酎の水割りで無事到着を祝い乾杯。ブルーモスクを飽くことなく眺める。



3.イスタンブール初日

 早朝、コーランの祈りを呼びかけるアザーンという抑揚のある大音声で眼が覚める。イスラム世界の旅行記を読んでいると必ずこのアザーンの言及がある。だれもが最初はスピーカーから鳴り響くアザーンに驚き、そしてそれが旅の慰藉となっていく。この旅の僕もそうだった。

 海を見渡すテラスで朝食。雨。今日はまず旧市街を歩こうと思う。
イスタンブールはボスポラス海峡をはさんで、アジア側とヨーロッパ側に分かれる。この間フェリーで20分。ヨーロッパ側は金角湾で新市街と旧市街に分かれ、ガラタ橋でつながっている。旧市街の外れ、ブルーモスクから坂を下ったところにホテル・スルがある。


  旧市街は世界遺産歴史地区に指定され、世界に名だたる見どころが三つ存在する。一つはこの街がオスマントルコに支配されてから作られたイスラム教寺院のブルーモスク(1616年建造)、もう一つはそれより遥か以前、この地が東ローマ帝国の首都となって建造されたキリスト教会のアヤソフィア(325年建造)。アヤソフィアはオスマントルコの占領後トルコ共和国の誕生までイスラム寺院として使われていた。そして三つ目に歴代トルコ王朝の居城、トプカプ宮殿(1500年代半ば建造)。

  まずブルーモスクに到着。靴を脱いで内部に入る。巨大ドームの内壁は青を基調とした様々な模様のタイルに覆われている。ステンドグラスが美しい。

  続いてアヤソフィア博物館。ここは長くイスラム寺院として使われていたが、1935年トルコ共和国になってから内壁の漆喰をはがしたところキリスト教会時代のモザイク絵が現れたので有名。現在は博物館になっている。

  その後、激しくなる雨の中をトプカプ宮殿へ。宝物館の歴代スルタンの豪華なダイヤや刀剣、執務室などが見どころ。この宮殿の中庭で小学生の遠足の集団に遭遇。みんなで「ハローハロー。ウエアーフロム?」と聞くので「トウキョウ」と答えると「オー・トウキョウ」「トウキョウ」と大騒ぎ。その後彼らは行き交う毎に僕の顔をみて「トウキョウ!トウキョウ!」と叫ぶ。子供のころ育った街に外国人(米国人牧師)が来ると珍しく、付いて回ったことを思い出す。

  お昼過ぎまでにこれらの遺産を回り終えた。だが旅の初日なのでモノがよく見えない。ただいずれも巨大なだけである。まだ頭と目が新しい環境に適応していないのである。旅の初めにはよくあることで、旅先に順応していくにつれてモノがよく見え、理解できるようになる。


4.客引きたち

 この旧市街の歴史地区には日本人目当ての客引きが多く、日本人と見ると寄ってきて、実に巧妙な話術で信用させ、絨毯や高級タイルなどを売りつける店に連れていく。あるいは酒を飲ませて法外な酒代を要求する。そのことはガイドブックに警告されているのだが、実に簡単に陥落し、被害にあうお人好し日本人が後を絶たないらしい。

そのパターン@。

 ドコカラデスカ?→ワタシハナゴヤノサカエニスンデイマシタ。→オクサンハニホンジンデス→ニホンデケンチクカンケイノシゴトヲシテイマス。→オクサンガコドモヲウムノデ、トルコニカエッテキマシタ。→トウキョウデハメイダイマエニモイマシタ。トウキョウハヨクシッテイマス。→ニホンガナツカシイデス。→オチャヲゴチソウサセテクダサイマセンカ→ソレトモオサケヲノミマセンカ。

 そのパターンA。

 ドコカラデスカ?→ワタシノツマハニホンジンデス。→ツマノジッカハグンマデス。→ケッコンシキハグンマデアゲマシタ。→ワタシハミソシルガダイスキデス。→ナットウモジャムヲツケテタベマス→ワタシハジュウタンノファクトリーデハタライテイマス。→デザイナーデス。→ニホンノヨコハマニモワタシノカイシャノミセガアリマス。→ニホンノミツビシヤトヨタニモジュウタンヲカッテモラッテイマス。→コノチカクニワタシノカイシャノミセガアリマスノデイキマセンカ。

  これは僕が実際に誘われた例である。しかし彼らの話すこれらは殆ど嘘であるといってよい。日本人と結婚している、日本に支店がある、日本の大企業と仲が良い・・・これで日本人は安心してしまうようだ。ある意味これは日本人の精神構造の弱点を見透かしている。彼らは日本語が達者なのだから、もっとましな仕事につけばよいのにと思うが、客引きとして成功し、高額なマージンを得ることに味をしめると止められなのだろう。ちなみにその絨毯だが百万単位の値段であり、それを買う日本人が山ほどいるらしい。この地区を歩いていると、トルコ人に声をかけられて話し込んでいる日本人がいる。あ〜またやられているなと思う。


5.夕食はキレミットケバブ

 遅い昼食をトプカプ宮殿のカフェで終えて、今度はトラム(路面電車)で新市街に通じるガラタ橋まで行った。このトラムはどこまで乗っても1.3トルコリラ(120円)。街路はこのトラムに、クラクションを鳴らし続ける自動車、それにそれらを無視して縦横に歩きまわる人々でごったかえしている、というか活気に満ちている。ガラタ橋からは丘の上に点在するモスクや町並みが見上げられ、あーやっとイスタンブールに来たなと思った。橋の上からは人々が釣り糸を垂らしている。鰺などの小魚が釣れているようだ。橋の近くには地元の人たちであふれるバザールがあり、実に多様なものを売っている。店をひやかして歩いているとあっという間に時間がたってしまった。気がついてみると午後6時を回っている。


 
 再びトラムにのり、ホテル近くまでもどる。夕食はかねて決めってあった地元のレストンで、キレミットケバブ(肉と野菜、トマトとチーズを鉄板焼きにしたもの。これにパンを付けてくれる)をテイクアウトにしてもらい、スーパーマーケットでビールとワインを買ってホテルの部屋で食べる。うまい。そして今日もブルーモスクが美しい。


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