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『西南シルクロード紀行』 -番外編-
                                                                 


<その一> 地震


 私は「五尺道」の後、四川省の「懸棺」を探しに旅を続けた。2006年5月下旬のことである。帰国したとき、もう6月に入っていた。7月のある朝、新聞の小さな記事を見てびっくりする。もし「五尺道」に行ってなければ、見過ごしていたに違いない。

 雲南で地震
 18人が死亡

 新華社通信によると、中国雲南省塩津県で22日午前9時10分(日本時間同10時10分)ごろ、マグニチュード5.1の地震が発生し、18人が死亡、60人以上が負傷した。
震源地の塩津県は雲南省の省都・昆明から北東約400キロ。    (北京)
                     『朝日新聞』7月23日朝刊

 5章の写真を見ていただくと分かるが、豆沙村には今にも倒れそうな木造家屋が並んでいた。あれが倒壊したのかもしれない。塩津の街にしても、継ぎ足しの建物が多かったように思われる。道路は狭く、崖が迫っているのでどうしても階を重ねざるを得ない(6章の写真参照)。それらが死傷者の数を多くしたのではあるまいか。

 雲南科技国際旅行社のSさんの話によれば、石門関は一時、ブルーの工事用シートで覆われていたが無事だった、とのことである。


<その二> 石寨山遺跡

 司馬遼太郎『街道をゆく20・蜀と雲南のみち』(朝日文庫)がきっかけで、私は「石寨山遺跡」を探す旅を始めた。この文庫本を何度も読み返すことになるのだが、司馬さんが「石寨山」へ行ったのか、行かなかったのか、定かではない。

 現地に立つことを重視する彼が行けなかったのか、行っても記述するに値しなかったので触れなかったのか、どうしても確かめたいと思っていた。それが判明したのである。

 「1981年の当時は、一つの団体に三つの都市の旅行を原則にして許可されていたらしいが、中国と司馬さんの関係の恩恵をうけて、上海、蘇州、杭州、紹興,寧波、成都、昆明を訪れることができた。

 この回のことは『江南のみち』『蜀と雲南のみち』としてまとめられ、僕の名もちらりと出てくる」。これは考古学者・森浩一さんの文。朝日新聞社編『司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」』(朝日文庫)のなかの「司馬さんと私」の一編である。「本当はその想い出は、一人じめにしておきたいのだが(略)一部を語っておこう」「司馬さんは午前のスケジュールには参加されない。体力を貯えておられるのと、取材のメモの整理や準備の時間だったようだ」とあってこう続く。

 「雲南省の昆明に泊まったときのことだった。昆明には滇国という国があって、日本の志賀島の金印と同じように、漢の皇帝から蛇鈕(だちゅう)の金印をもらっている。その国王らの墓のある石寨山遺跡は昆明の郊外にある。僕と民族学博物館の松原正毅さんとは、雲南省博物館で石寨山古墓の遺物を見るにつけ、すごく興奮をした。司馬さんの口ぞえもあって、石寨山へ行けることになった」。

 司馬さんは森、松原の両氏をホテルの玄関先で見送ったのである。


<その三> 雲南省博物館

 雲南省博物館は長いあいだ改修工事が行われていて、5月に行ったときは参観できなかった。7月にオープン。館内は明るくなり、昨年までとは見違えるようだ。石寨山遺跡、李家山遺跡をビジュアルに全面展開している。英文の説明もついており、中国語が読めなくてもだいたい理解できる。出土品(金印を除いてはすべて本物)をより近くから見られるように展示されており、そのうえ画期的なことに撮影もOKなのだ。明らかに、2年後の北京オリンピックの観光客を意識していると思われる。

 私もすごく興奮をして、3時間ほど撮りまくった。「小さなカメラ、ガラス越し」という限界もあるが、その一部を紹介しよう。


●滇国の初・中期の出土品。時代的には戦国時代(BC453年~221年)にあたり、すべて李家山遺跡から。



まさかり(武器)
生産用具ではなく武器としてのまさかり。円形の部分が刃である。高さ20センチ。

酒器
 
「立牛銅尊」。尊は樽と同じで、酒だる。高さ31センチあるが、入るのは中央部分のみ。


 貯貝器(金庫)

 

当時の通貨であった子安貝を収納する金庫、すなわち貯貝器である。高さ31センチ、蓋の直径16センチ。

 枕
「出土したとき死者の頭の下にあり、それで銅枕という」と説明にある。高さ15センチ、幅50センチ。

 蓋つき容器
出土したとき内部に炭化した絹糸の束が残されていた。上は円形、下が方形。高さ31センチ。

細長の筒
「立鹿銅針筒」。高さ27センチの細長い筒、何を入れるものだろう。雄叫びをあげる鹿。

バックル飾り
長い角の山羊が悲鳴をあげ、三匹の狼が噛み付いている。高さ8センチ、幅14センチの留め金。

 飾り
それぞれ猟犬を連れた狩人がふたり。ひとりは猪に噛み付かれ、ひとりは短剣で刺す。幅12センチ。

 飾り
牛を生贄にした豊作祈願の儀式。柱に縛り付けられた牛、角に突かれた児童。高さ6センチ、幅12センチ。



●やや時代が下ると石寨山遺跡からの出土品が多くなる。前漢(BC206~紀元8年)時代のものがほとんど。

鋤(農具)
多くの農具が出土したが、なかでも多いのが斧、スコップ、それにこの鋤。高さ28センチ、幅20センチ。


酒器・杯
何とも凝った杯である。孔雀,五層の塔、一対の雄鶏までが蓋。高さ52センチ。羊甫頭遺跡から出土。


貯貝器(金庫)
イラストを見よ、じつに緻密な構成なのである。虎の後ろ左足が牛の頭部にある。よく観察し、よく表現している。


ひょうたん型の笛。踊りの場面は石寨山17号墓から出土したものを描いている。笛を吹く女、踊る3人。



バックル飾り
複雑な構成。両耳に蛇、角の上に2匹の牛とさらに牛の頭部がある。高さ9センチ、幅11センチ。


●人間を描いたものもユニークな構図が多い。日本の埴輪は静止だが、滇国のそれはいかにも動的である。

矛(武器)
後ろ手を縛られた受刑者であろうか。男根、垂れ下がった髪もリアルである。高さ30センチの矛(ほこ)の飾り。

燭台
「三枝銅俑灯」。3本の蝋燭(ろうそく)を立てたものだろう。最も新しい後漢時代のもの。高さ42センチ。

埋葬する人形
傘を持つ女。傘はすでに脱落している。「女性銅俑」、俑(よう)は死者とともに埋葬した人形。高さ27センチ。

バックル飾り
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